第9回:震災復興が追い風?
2012.08.30
昨年の東日本大震災から1年半が過ぎようとしている。
経済評論家は、震災の復興需要で今年度のGDP(国内総生産)は上がると口を揃える。
たしかに各種統計は上昇傾向にあるが、巷(ちまた)には不安感が漂う。
その正体を解説してみる。
震災復興は、短期的にはGDPをやや上昇させる要因になるであろうが、リーマンショック前に戻るわけではない(ここが第一の勘違い?)。
阪神大震災のあと経済成長率が上がったことを引き合いに出して、景気回復効果をあおる人もいる。
しかし、この種の主張はどこかおかしいと思う。
もし、「国土を破壊すれば経済成長率が上がる」というのであるなら、景気をよくするためには「国土を破壊したほうが良い」ということになってしまう。
「そんなバカな!」と思うであろう。
そちらのほうが正常な感覚だと思う。
そう思って、「何かないかな」と調べていたら、面白い話があった。
フレデリック・バスティアという経済学者の「割れ窓の誤謬(ごびょう)」として知られる話である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
子供が商店のショーウィンドウに煉瓦(れんが)を投げて、割ってしまった。
その店主が怒っていると、一人の賢者が現れて、こう言った。
「この子は正しいことをしたのだ」
いわく、窓が割れたことによって、それを修理するガラス職人は修理代を得る。
その職人がレストランへ行って修理代で食事をすると、レストランがもうかる・・・
というように社会全体が利益を得るというのである。
はて??
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この論を正解とすると、町中の人が、レンガを投げて商店のショーウィンドウを壊しまくったら、この町の経済は大躍進を遂げることになる・・
「そんなバカな」と思うでしょうな。
でも、感覚的に「そう思う」というのではダメで、以下のような論理的な理解が必要である。
この賢者の話が成り立つためには、一つの前提が必要だ。
それは「需要に対して供給能力が余っている」ということである。
ガラスを割られた商店主は窓ガラスの修理代を払わなければならない。
しかし、この店が儲かっているならば、その分の余計な支出も、出費の増加として、経済全体の上昇に寄与するだろう。
しかし店の経営が苦しい場合、商店主は、窓ガラスの修理代を払う代わりに、予定していた新しい家具を買うのをやめるかもしれない。
そうなると、商店主から修理代をもらったガラス職人がレストランで食事をし、レストランが儲かっても、家具屋は損をする。
つまり、経済全体としては壊れた窓ガラスが正味の損失になるのである。
阪神大震災の頃の日本は、まだ経済全体の供給力が余っていた。
だから、震災復興の需要が増えた分がそのままGDPの増加になったのである。
しかし、今の日本はどうであろうか。
工場の海外移転などが進み、国内の供給力は、かなり落ち込んでいる。
さらに原発停止によって電力の供給能力などに制約があると、壊れた国土を復旧するための資源は、余剰資源からではなく、震災がなければ本来の他の用途に回されるはずだった資源を回さなくてはならない。
経済全体からみれば、壊れた国土の残存価値の分だけマイナスになるのである。
「それでも、建設産業にとっては追い風だ」という声がある。
建設需要が細っていた被災地域の建設会社にとっては確かにそうである。
しかし、民需の活性化で経済が上昇していた被災地域にとっては、被災した企業の再建が進まない限り、復興需要で民需の落ち込みはカバーできない。
また、復興資金ねん出のため、建設計画が先送りされた地域では、その分の経済が落ち込む。
災害復旧の恩恵配分がない地方の公共事業費は減り続けていくという構図になりかねない。
それに対し、自民党は「国土強靭化基本法」を打ち出し、10年間で200兆円を投じることを次の選挙公約に掲げると宣言した。
次回、この基本法のことを解説してみたいと思う。
追記
本連載は、長らく中断状態でしたが、今後はなるべく定期的に続けたいと思っています。
次回は9月にお送りします。
経済評論家は、震災の復興需要で今年度のGDP(国内総生産)は上がると口を揃える。
たしかに各種統計は上昇傾向にあるが、巷(ちまた)には不安感が漂う。
その正体を解説してみる。
震災復興は、短期的にはGDPをやや上昇させる要因になるであろうが、リーマンショック前に戻るわけではない(ここが第一の勘違い?)。
阪神大震災のあと経済成長率が上がったことを引き合いに出して、景気回復効果をあおる人もいる。
しかし、この種の主張はどこかおかしいと思う。
もし、「国土を破壊すれば経済成長率が上がる」というのであるなら、景気をよくするためには「国土を破壊したほうが良い」ということになってしまう。
「そんなバカな!」と思うであろう。
そちらのほうが正常な感覚だと思う。
そう思って、「何かないかな」と調べていたら、面白い話があった。
フレデリック・バスティアという経済学者の「割れ窓の誤謬(ごびょう)」として知られる話である。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
子供が商店のショーウィンドウに煉瓦(れんが)を投げて、割ってしまった。
その店主が怒っていると、一人の賢者が現れて、こう言った。
「この子は正しいことをしたのだ」
いわく、窓が割れたことによって、それを修理するガラス職人は修理代を得る。
その職人がレストランへ行って修理代で食事をすると、レストランがもうかる・・・
というように社会全体が利益を得るというのである。
はて??
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この論を正解とすると、町中の人が、レンガを投げて商店のショーウィンドウを壊しまくったら、この町の経済は大躍進を遂げることになる・・
「そんなバカな」と思うでしょうな。
でも、感覚的に「そう思う」というのではダメで、以下のような論理的な理解が必要である。
この賢者の話が成り立つためには、一つの前提が必要だ。
それは「需要に対して供給能力が余っている」ということである。
ガラスを割られた商店主は窓ガラスの修理代を払わなければならない。
しかし、この店が儲かっているならば、その分の余計な支出も、出費の増加として、経済全体の上昇に寄与するだろう。
しかし店の経営が苦しい場合、商店主は、窓ガラスの修理代を払う代わりに、予定していた新しい家具を買うのをやめるかもしれない。
そうなると、商店主から修理代をもらったガラス職人がレストランで食事をし、レストランが儲かっても、家具屋は損をする。
つまり、経済全体としては壊れた窓ガラスが正味の損失になるのである。
阪神大震災の頃の日本は、まだ経済全体の供給力が余っていた。
だから、震災復興の需要が増えた分がそのままGDPの増加になったのである。
しかし、今の日本はどうであろうか。
工場の海外移転などが進み、国内の供給力は、かなり落ち込んでいる。
さらに原発停止によって電力の供給能力などに制約があると、壊れた国土を復旧するための資源は、余剰資源からではなく、震災がなければ本来の他の用途に回されるはずだった資源を回さなくてはならない。
経済全体からみれば、壊れた国土の残存価値の分だけマイナスになるのである。
「それでも、建設産業にとっては追い風だ」という声がある。
建設需要が細っていた被災地域の建設会社にとっては確かにそうである。
しかし、民需の活性化で経済が上昇していた被災地域にとっては、被災した企業の再建が進まない限り、復興需要で民需の落ち込みはカバーできない。
また、復興資金ねん出のため、建設計画が先送りされた地域では、その分の経済が落ち込む。
災害復旧の恩恵配分がない地方の公共事業費は減り続けていくという構図になりかねない。
それに対し、自民党は「国土強靭化基本法」を打ち出し、10年間で200兆円を投じることを次の選挙公約に掲げると宣言した。
次回、この基本法のことを解説してみたいと思う。
追記
本連載は、長らく中断状態でしたが、今後はなるべく定期的に続けたいと思っています。
次回は9月にお送りします。