第6回:建設会社の経営(4)

2007.10.01


VOL.6からは、「ビジネス」をテーマに、つれづれに経営を論じてみます。
筆者の思いをストレートに書いていますので、「?」と思われる個所もあるかと思います。
その部分は、「こんな考え方もあるんだな~」ぐらいの感じで読み飛ばして下さい。
気楽な気持ちで読んでいただければ幸いです。

◆ビジネス

Business(ビジネス)を正確に表現する日本語が無いように思う。
仕事はWork(ワーク)のほうがピッタリくるし、事業にはEnterprise(エンタープライズ)が当てはまる。
辞書を引くと、「職業」「業務」「営業」と言った訳語がついているが、どれも当てはまらない感じがする。
要するに、この言葉が日本に入ってくるまでは日本語には無かったニュアンスの言葉ということである。
それ故、「ビジネス」とカタカナ日本語で使われることが多いのであろう。
この言葉の持つイメージは、日本語の「仕事」や「業務」とは明らかに違う。
もっと渇いた語感であり、一切の「情」を排した、論理が支配する冷徹な世界が想像される。
変な例えであるが、同じ殺し屋でも、「必殺仕事人」は、その名の通り「仕事」が似合うが、「ゴルゴ13」は「ビジネス」が似合う。
この差はお分かりであろう。
仕事人にはある「情」がゴルゴには全くないのである。
さらに言えば、仕事人には差配者がいて、仕事の受注は、彼(もしくは彼女)が責任を持つ。
一方、ゴルゴは、全てが自己意思、そして自己責任である。
この差は大きい。

なぜ、こんなことにこだわるのかと言うと、我々を取巻く経営環境が、「仕事」ではなく「ビジネス」を要求し出しているからである。
この空気は、15年ぐらい 前あたりから急激な勢いで拡大してきているように感じる。
その空気にいち早く感応し、たちまちのうちにビジネスの成功を手中にした代表が楽天やライブドアなのであろう。

IT業界には彼らのような存在が数千社 輩出されたと言われている。
彼らは、これまでの日本社会で美徳とされてきた「情」や「奥ゆかしさ」などは微塵も持ち合わせていない。
でもこれは 、人格とか品格の問題ではなく年代であろう。
そのトップランナーとも言えるソフトバンクの孫さんは50代という年齢ゆえかどこかに古めかしいものも持っている。
しかし、ライブドアの堀江元社長のような30前後の経営者たちは、全く持ち合わせてはいない(ように感じる)。


彼らにとってのビジネスは、我々 古い年代の者が考えているような責任あるものではなく、遊び感覚の娯楽のようなものであると思われる。
彼らは、数千億円の負債を抱えて倒産しても、数年後には涼しい顔をして別のビジネスをしている ことであろう。
倒産で自殺者まで出る旧来の経営者には考えられない感覚である。
残念ながら、新時代の最初のラウンドにおいては、勝ち組みは彼らのほうである。
負け組だらけの建設業経営者は、この新時代の第1ラウンドは完敗である。
次のラウンドで捲土重来を期すしかない。

筆者が経営するHALという会社は、社名から分かるようにIT企業である。
しかし、建設業に特化しているためか、勝ち組とは言い切れない。
要するにビジネスとして割り切れずに「仕事」をしている部分を抱えているわけである。
それが悪いとは思っていないが、もっと成功したいと思っていることも事実である。
それでは、どうすれば自らの経営を「仕事」から「ビジネス」へ転換出来るのか、以下で考えてみた。

最初に断っておくが、「仕事」より「ビジネス」の方が上と言っているのではなく、また、理想の経営などと言っているのでもない。
「私の経営は『仕事』で良いのだ」を貫ければ、立派な経営と言えよう。
猿真似的な「ビジネス経営」よりよっぽど良いと思う。
ただし、愚痴も泣き言も言わずに貫ければ、である。
そうした考えを基本にした上で「ビジネス経営論」を論じてみる。



◆金儲けの哲学

ビジネスの中心的考えは「いかにして金を儲けるか」である。
そして、その初動は「いかにして金を集めるか」である。
資本主義とは資本と経営の分離に他ならない。
大半の中小企業はこれが出来ずに経営者自身の資本で経営を行っている。
つまり資本と経営が一体になってしまっている。
これに実労働まで一緒になっている零細中小企業は、まさに労働と資本の合体を理想とした「共産主義」の具現者である。
これは カール・マルクスの理想の実現なのか皮肉なのか、それを論じるのは止めて話を戻す。
他人から資本を集められるような経営を行うことが「ビジネス」の第一歩である。
現代のIT長者たちは、この初動に成功した者達である。
しかし、彼らにしても、せいぜい次の段階の「集めた金で金を儲ける仕組み作り」に1回だけ成功した 者たちである。
未来に渡って続く「富のピラミッド」を作り上げた者は皆無である。
そこが、戦後の荒廃の中から世界企業を作り上げ、自らの死後も続く帝国を作り上げた第一次の成功者たち(松下幸之助、本田宗一郎、井深大など) 、それに続く第二の成功者たち(伊藤雅俊、小倉昌男、稲盛和男など)には、遠く及ばない点である。
しかし、それでも「金を集める」天才たちであることは間違いない。
ここが我々の経営をビジネスにする最初の関門である。
手段は問わずに、これからの自分のビジネスが必要とする金を集めなければならない。
必要な自己資金を既に有している方は、あっさりとパスである。
うらやましい限りであるが、それも力(たとえ、親からもらったものでも)である。

一方、無い方(筆者も含めて)は、何とかして金を作るしかない。
金持ちの気持ちを動かす企画を練りプレゼンして歩くか、金融機関をうまく 乗せるか、人の情に訴え行脚して歩くか、オバマ流に小金を広く浅くさらっていくか、別の事業で金儲けしてからより大きな世界に挑戦するか、などなど手段は数限りなくある。
要は実行 力である。
それこそ泥棒だって詐欺だって一つの手段である。
何もやらずに夢を口にするだけの者よりましである。
そして、このくらいの覚悟がなければ金は集まらない。
金を集めたら、次が「金儲けの仕掛け作り」である。
これが、いわゆる「ビジネスモデル」である。
ヤフーしかり、楽天しかり、ユニクロしかりである。
規模は小さいが建設業界にも少しずつ事例が増えてきている。
このビジネスモデルが成功するポイントを幾つか述べてみる。
まず、ビジネスラインが短く、かつ分かり易い1本の線の上に載っていることが 必須である。
これは当り前のことだ。
市場と密着することが現代ビジネスの基本なのだから。
ゆえに、複雑な経路を持つものはダメである。
経路は一本、かつ短いほど良い。
既存の多くの企業の仕事のように、根回しや事前の稟議などが必要なラインではダメということである。

次が、斬新さである。
旧来のコンテンツを使っても良いが、どこかにオリジナルな新しさが必要である。
建設業界の例では、少し古くはなるが、JAと組んで農地の宅地転換と農協融資を組み合わせた賃貸マンションのモデルなどがそれに当る。
ペット同居型や独身女性専用のマンションなどもそのような例である。
顧客層の潜在ニーズを引き出すようなビジネスモデルが最高であるが、今の不満を解消するモデルでも十分斬新である。
とにかく魅力あるモデル化は必須である。
ただし、FC(フランチャイズ)型のモデルは、これからはあまり期待できない。
次3番目の条件に抵触するからである。
その3番目は金儲けの仕組みをはっきりと見えるようにする事である。
どこにどのような利益の源泉が生まれ、どのように実が得られるのかを参加する者(特に資本家)に見せることが大事である。

そして最後は、参加する者を精選することである。
ビジネスへの参加要件をはっきり示し、それに満たない者は参加させない厳然としたルール化とそれを冷徹に貫く意志の力が必要である。
そこには一切の情も差し挟んではいけない。
勿論、この参加者の中には自社の社員も含まれる。
自らが経営する企業体に参加要件を満たしていない社員はいないか、いたらどうする。
この問い掛けを経営者自らにしなくてはならない。
だから、これが最も難しく、失敗者が必ず踏んでしまう教訓でもあるのだ。
金儲けとは冷徹なる哲学である。



◆市場との距離

これは、当たり前過ぎて逆に難しい課題である。
単に市場が求めているものを提供すればよい時代は終わった。
今のビジネスでは市場の潜在的欲求を掘り起こし、それを金に替える仕掛けが必要になっている。
また、市場全体が一つの欲求(例えば、「持ち家が欲しい」というような欲求)を追いかけるといった前近代的な動きはこれからは無いと思ったほうがよい。

建設業界は、公共工事という、市場原理が思うように働かない部分が大きかったため、市場の動きに鈍感なところがある。
しかし、過去の公共工事をよく分析すれば分かる事であるが、決して市場の欲求と関係ないものばかりを造ってきたわけではない。
時間が経ってみれば、多くの公共工事は市場が要求したものを作ってきたことが分かる。
しかし、そうでないものもあるため、批判にさらされている。
ただ、これは建設工事の最大の弱点なのであるが、要求の実現速度が遅いため、完成した時には既に用済みであったり、目論見がずれたりといったことが往々にして起る。
これが目立ってしまうのだ。
勿論、ハナから政治的圧力で作られる公共工事もあるが、多くは真面目に市場の要求に応えようとした結果の工事であることは疑いがないのである。

だが、情報革命の嵐は、そんな悠長な時代が終わったことを告げている。
市場は、自らの要求にいかに素早く応えるかを建設産業にも求め出しているのである。
それに応えるためには、未来に目を向けた綿密なマーケティングを基礎に置いた企画、計画段階で全ての問いに回答を出せる、かつ間違いのない施工が出来るような設計、設計意図を忠実に現実化できる施工、価値を持続し得るメンテナンス、と続く「建設サプライチェーン」の実現である。
そして、それは、大手であっても、1社で出来ることではない。
これからの時代は、幾つもの「建設サプライチェーン」が作られ、その仕組みの競争の時代になっていくであろう。
ただ、その実現を遅らせているのは旧態の法律である。
法律の縛りのきつい産業ほど改革は遅れる。
罰則で縛る法律から、経済を、そして生活を支援する法律への転換こそ、今の日本に求められているものである。



◆変化というキーワード

それでは、個別企業の経営に話を戻そう。
自らの企業を変えること無しに、これからの時代を乗り切れるとする経営者はほとんどいないであろう。
でも現実には変われない企業が大半なのである。
変われないとどうなるのであろうか。
統計データによると、これまでの50年間を生き延びた企業はたったの3%だそうである。
それがこれからの50年間では1%になるという予測もある。
でも、こんな数字をあまり気にする必要は無い。
自らを変化させ続けられる企業は生き残れるのである。

それでは、変われる企業とそうでない企業との差はどこから来るのかを考えてみよう。
元気のない会社は、「正しい仕事を行わない仕組み」を作り上げていることに原因がある。
では、企業における「正しい仕事」とはいったいどのような仕事なのか。
それは簡単である。
企業活動とは「お金を作り出す」ことに他ならない。
そして、「お金を作り出す」=「入ってきたお金と出て行ったお金の差額」である。
これを最大化する行為を「正しい仕事」と言うのである。
「当たり前のことを言うな」と怒るかもしれないが、自社が実行できているかを考えて欲しい。
上記のことをもっとブレイクダウンして書けば、「売れるものだけを作り、それを売った収入だけが売上としてカウントされる」となる。

しかし、多くの企業はこう単純に割り切った経営をしてはいない。
自社の仕組みを冷静に見て欲しい。
本当に「売れるものだけを作る」施工になっているかを考えてみて欲しい。
社内では「生産性」だとか「業務効率」のような指標が使われていると思うが、これらの数字を高めること自体が目的となってはいないか、よ~く考えて欲しい。
「売れないモノ作りの生産性をいくら上げても」会社は儲からない。

また、「売れるモノ作りへの支援度の低い間接業務をいくら効率化しても」会社は儲からない。
個々の最適化ではなく、経営の全体最適を追求する仕組みへの変化こそ、これからの時代の経営のキーワードである。
経営者自身がこのことに気付かなくては生き残ることは難しい。



◆会社が変われない理由

多くの建設会社は「現場に頼り切った経営」をしている。
経営者が現場の技術力や業務改善努力に頼り、それが有効であると錯覚しているところがある。
それは10数年前までの経営である。
建設市場のパイが増え続け、それに伴う規模の拡大が利益に直結した過去の時代にあっては、現場の効率化は有効に機能してきた。

しかし、市場全体の量が減り続ける縮小経済の中では、現場での改善努力は、ほとんど企業業績に結びつかないのである。
それなのに、現場に対するコストダウン要求ばかりを強める誤った経営により会社の体質を悪化させているのが現実である。
結果として経営と現場の相互不信ばかりが増幅されてきているのではないか。
それが結局、企業の中のムラ社会を助長させ、社内政治が横行する企業風土を作っていくことになる。

必要なのは、現場のムダ取りではなく、経営のムダ取りなのである。
そして、実行すべきは公開された利益管理のような分かり易い経営である。
そのためには経営者自らが、新しい経営の原則論やセオリーを学び、外部の目で自社を見ることが出来るようになる必要がある。
一番変われないのが経営者であっては、その企業は滅びる。



 
<あとがき>

少々、回りくどい書き方になってしまった感があります。
言いたいことはご理解いただけたでしょうか。
筆者も苦悩する経営者の一人ですが、どのような事態も正面から受け止め、その解決を楽しみに変えていく経営を心がけています。
ライブドアの堀江元社長や村上ファンドの村上元代表の裁判は、現代の勝ち組の成功が長くは続かない象徴です。
雨後の竹の子のように生まれたネット企業も、楽天以外はあまり目にすることもなくなりました。
その楽天も、水面下では多くのトラブルを抱えています。
我々は、目先の利益に捉われず、寿命の長い経営を目指したいものです。
次回は、経営のムダ取りをテーマに論じてみます。