第9回:クッション・ゼロから改革へ

2007.10.01


◆偶成(要約)

前回約束した「朱喜」の残した四行詩「偶成(ぐうせい)」の読み下し分および要約を冒頭で述べます。

偶成

<原文>      <読み下し文>
少年易老学難成         少年老い易く、学なり難し。
一寸光陰不可軽         一寸の光陰(こういん)軽んずべからず。
未覚池塘春草夢         未だ(いまだ)覚めず
                                   池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢。
階前五葉巳秋声         階前(きざはし)の五葉(ごよう)
                                   己(すでに)秋声(しゅうせい)。

<要約>
私は、幼少より学問を志してきたが、老いを迎える年齢になってしまった。
しかし、未だ大きな成果を果たせずにいる。
もはや私の人生も残り少なくなった。
瞬きするようなほんの一瞬の時間でもおろそかには出来ない。
春の池の端に萌え始めた若草のように瑞々しい、私の大志の夢は今も覚めてはいないのだが、
ふと気が付くと、階段の前に繁っている五葉の葉がいつしか秋の色に染まっているように、
自分も人生の秋とも言うべき初老の時期にさしかかってしまった。
ああ、あの葉がやがて散るように、自分もこのまま志を遂げることなく、この世を去るばかりなのか。
時間だけが無常に過ぎ去っていく。

<解説>
「内容」を読んでお分かりのように、自分自身のふがいなさを嘆いた漢詩なのです。
ところが、冒頭の「少年老い易く・・・」があまりにも有名になってしまい、「若者を諭す言葉」として定着してしまいました。
最初から若者を諭す意図で作られた言葉と思っておられる方も多いようです。
しかし、作者にその意図は全く無く、やけ酒に酔いながら「あ~あ、やんなっちゃうな」と嘆いて作った詩なのです。
現代の解釈には天国の朱喜も苦笑していることでしょう。
 
◆ゼロベース発想が経営を変える:クッションゼロ・パート2

注意:VOL.8の「ゼロベース発想が経営を変える:クッションゼロ・・」をお読みで無い方は、
そちらを先に読んでから本章をお読みください。それでないと、内容の理解が進みません。

さて、クッションゼロの2回目である。
筆者は、7~8年ぐらい前からあちこちの講演やセミナーで「クッションゼロ」の話をしている 。
また、2008年9月に、考え方と手法の概要をまとめた「建設原価の透明化手法:クッション・ゼロ」という単行本を出版したので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれない。
また、この単語が多少流通しているのか、時々初対面の方に言われることがある。
「おたくの『ゼロクッション』知っていますよ」とか「ゼロ予算ですよね」などである。
何とも返事に困ってしまう。
冒頭の漢詩「偶成」ではないが、正確に物事を知ることの難しさと大事さを痛感する次第である。

一部に、クッションゼロ手法のことを現場を締め上げる手法と誤解している向きがある。
「現場の余裕を残らず吸い上げる」と思われるようである。
そうではなく、「実行予算から一切の余裕を排除すれば、何が実行予算を狂わせるのかが分かる」のであり、「予算を狂わせる要因をクッションと呼び、その実態を見えるようにする」手法であり、「発生するクッションをいかに少なくしていくかを社内でオープンに検討する」材料を提供する仕組みなのである。

今までの管理方法は、上記の全てを現場担当者任せにしている。
しかし、それでいて「実行予算の中にクッションを入れても良い」と宣言している会社はほとんど無いようである。
それどころか「ギリギリの予算を作れ」と言いながら「目標粗利を死守しろ」と矛盾することを平気で要求している。
ところが今までは、これで現場管理が成り立ち、利益も確保できていた。
どうしてであろうか。
これには2つの要因が考えられる。

一つは、関係者はみな上記の矛盾のことは知っていて、実行予算の中にクッションを入れることを黙認してきた。
つまり正しくは、「実行予算の中に巧妙にクッションを入れて、目標粗利を死守しろ」という暗黙の指示だったわけである。
これなら理屈は合う。
2つ目は、暗黙のクッション入れが可能なほど利益が上がっていたことである。
そして、その暗黙のクッションが、「予想外に発生した原価の闇処理」を可能にし、さらには「影の接待交際費」「闇献金」「談合金」「地元対策費」「先生への口利き料」「やくざ対策費」と、様々な面倒なことを「闇で処理する便利な口座」であったわけである。
それがエスカレートして、「個人の闇給与」にまで化けることすらあった。
上記に挙げた例の全ては推測ではない。
筆者が実際に関わってきたことばかりである。
ただし、筆者はここで良し悪しを論じたいわけではない。
そのようなクッションを支えてきた企業の財政基盤が弱っていることと、今の若い技術者にはそのようなクッションを上手に管理することなど出来ないことを言いたいのである。

高度なテクニックが必要な裏のクッション管理に代えて、誰でもが管理できる表(おもて)の管理に移そうというのが、クッションゼロ(CZ)の考えである。
野球に例えて言えば、裏のクッションを管理する従来手法は「消える魔球を打つ打法」である。
それに比べれば、クッションゼロは、せいぜい「カーブを打つ打法」であろう。
カーブは普通に練習した並みの打者でも打てるが、消える魔球は、花形かオズマ(詳しくは漫画「巨人の星」を見てください・・古すぎますね)のような天才打者しか打てない。
しかも、各社の天才打者には引退の時期が迫ってきている。
その下の年代の人たちも既に中年の域である。
昔ほどには打てなくなっているし、衰えていく一方である。
それは同時に会社の衰退を意味する。従来手法に決別をつける時が来ているのである。
クッションゼロを「難しい」というのは、実はベテランと言われる人ばかりである。
若い人は、どんどん吸収していく。
一つ一つの細目手法は簡単なことしか要求しないから若者の吸収が早いのだと思う。
他方、ベテランは従来手法に慣れ親しみ、その中に自分の優位性を築き上げているので、新しい手法の導入に抵抗を示す。
しかし、その優位性は組織内においてしか効力がなく、企業間の競争には全く無力である。ベテランは、このことを理解すべきである。
クッションゼロに限らず、素直な解釈こそが手法マスターの秘訣である。
クッションゼロについては、ここで一旦筆を置く が、拙書をお読みいただくか、毎年行っているセミナーに足を運んでくださることをお勧めする。
詳しくは弊社HPにて。


 
◆改革することの難しさ

前にも述べたが、企業の寿命は人間と違って理論上無限である。
しかし、平均すると人間よりずっと短い。それはどうしてであろうか。
実は、大半の企業は長生きの条件を満たしていないのである。
その条件とは「改革の実行」である。

よく考えて欲しい。
仕事のやり方が同じままでは50年も持つはずがないのである。
これからの時代は5年も持たないのではないかと思われる。
弊社の本社がある東京・浅草には老舗のお店がたくさんある。
創業100年を超えるお店もあるから凄いものだ。
でも100年前と同じやり方を通しているわけではない。
注意して眺めていると、お店に並ぶ商品にも変化があるようだ。
「昔ながらの・・」という定番の商品にも微妙な変化がある。
概ね3~10年で変化があるように感じる。
この工夫の連続、つまり変化であり「改革」の継続こそが100年生き抜いてきた力なのである。

「そんなことは分かっているよ」という声が聞こえてきそうである。
では、なぜあなたの会社は改革が出来ないのか。
あるいは、改革をやっても成果が乏しいのか。

ここで考えてみて欲しい。
現在がどれほど悪い社内体制、風土であろうと、それにより恩恵を受けている者がいるのである。
だれ一人恩恵を受けている者がいなかったならば、その状態が続いているわけはないのである。
それも、恩恵を受けている多くの人に恩恵を受けている意識すらないことが問題なのである。
ここに気づくことが改革の第一歩である。

さらに改革の失敗に対する恐怖がある。
最悪の事態、つまり倒産に至るかもしれないという恐怖が経営を縛るのである。
でも、倒産して企業は死んでも、経営者も従業員も生きている。
生きている限り再起を図ればよいのである。

100円ショップで有名なダイソーの創業者は、30回以上商売に失敗し、3回も夜逃げしたそうである。
命ある限り経営は何度でも挑戦できるということの証明である。
怖がる必要はない。
それでも改革を実行しないのは単なるさぼりである。
「そのうちに・・・」が口癖になっている経営者は多い。
このような企業は、時代の転換点で消えていく運命にある。

以下に「改革5つの命題」を掲げておく。

(1)人的要因
悪い状態が続くということは、かなり強い人的要因が社内に根をおろしていることを意味する。
それはそれで安定状態なのである。
改革プロジェクトはその安定状態を壊し、不安定状態を作り出すものでなければならない。
だから、効果があがるほど抵抗が激しくなるのは当然である。
その抵抗に経営者が負けたら、それっきりである。
改革には抵抗排除のための人事断行が必須である。再度言う。
「改革とは不安定状態を作り出すこと」である。

(2)意識変化
「この改革は自分達のためにやるのだ。
せっかく作り上げた方策は絶対実践したい」「改革プロジェクトを通じて他部門の人たちと初めて分かり合えた気がする。このまま終わらせたくない」
これらは、実際に改革を断行した会社の社員たちの生の声である。
このような意識変化こそ、改革の真の成果であろう。

(3)改革の最終章
改革を阻害する圧力は、有効な改革ほど、そして改革が進むほど激しさを増してくる。
改革の最終章はこの圧力の打破になるのは当然の帰結である。
実はここが一番難しい。
多くの会社の場合、最大のガンは上級幹部および経営層そのものにある場合が多い。
ここにおいてはトップの意思の力だけが頼りとなる。
トップは勇気を持ってプロジェクトを支え、改革の最終章を進めるのである。

(4)ISOは阻害要因?
ISO導入企業に行くと社内のあちこちに経営トップの「品質方針」が張ってある。
どれもこれも紋切り型の文句で、実につまらない。
ISOの弊害である。
品質方針も経営トップの経営理念の一つである。
そのトップの方針がISOの規範に隷属させられるのである。おかしいと感じているのは筆者だけであろうか。

以下の言葉をよく読んで欲しい。
「経営理念とは経営者そのものです。社長の話す言葉、行動であり、毎日の判断が即理念です。
そして理念を、お客様、社員、社会、取引先に対する責任に置き換えて考えていくことが経営です」
ある経営者の言った言葉である。
これを品質方針にどう表現するのかを考えて欲しい。
ISO審査員のための品質方針であってはならない、と断じて言いたい。

(5)改革の実行
実行が難しいのではない、やらないだけだ。


 
<あとがき>

建設不況の中でも売り上げを伸ばしている会社がある。
共通している要素は、外部から見てもはっきりと分かる競争力である。
価格も勿論であるが、それだけではない。
創り上げる完成品の独創性であったり、工法であったり、現場の管理手法であったり、あるいは独特の営業スタイルであったり、ユニークな教育・研修であったりといろいろであるが、とにかく、外部からはっきりと分かるのである。
しかし、優位性が価格だけの場合は危険が伴う。
ダンピングになっている可能性があるからである。
ダンピングの中で利益の確保を図ろうとすれば手抜きになってしまうのは常識である。
社会問題になっ た偽装設計にもこうした背景があるが、施工の中に無いとは言い切れない苦しさがある。
価格以外の「価値」を作ることは、これからの建設企業にとって必須の要素かもしれない。