第23回:相対性理論の衝撃

2010.05.20

坂本龍馬を取り上げた後、少々刺激的なテーマを扱ったのじゃが、
塾長の意図は理解されたかな?

そう、歴史ものが続いたので、今度は科学ものを続けようと思うのじゃ。
その皮切りに「核」をテーマにした稽古をしたわけじゃ。

ということで、今回は、あの有名な理論を稽古の題材にしよう。
「相対性理論」じゃ。

では・・・ 道場にいくとするか!

科学に全く疎い(うとい)者でも、「相対性理論」、
そして発見者のアインシュタインの名を知らぬ者は、まずいないじゃろ。
あの、もじゃもじゃ頭の天才学者の風貌は、
数々のエピソードとともに、もはや伝説の世界になっとる。
42歳のときのアインシュタイン

だが、このような大それたテーマに「科学的」に挑もうなどと思ったわけではないぞ。
ここは、脳内道場じゃ。
脳の鍛錬の材料として使うのじゃから、科学的考証は勘弁して欲しい。
ええかな、最初に断っておくぞえ!


相対性理論の詳細は省こう。
難しすぎるからじゃが、以下のことぐらいは知っておろう。
(1)  光の速さは、宇宙のどこでも同じである。(秒速30万km)
(2)  物体の質量は、光の速度に近づくほど重くなる。
(3)  時間の進みは、光の速度に近づくほど遅くなる。

特に(3)の話は、いろいろと題材にされるようじゃ。
「光の速さに達すると、時間は進まなくなる」
つまり、「年をとらない=不老不死(うらしま効果)」とな。

おっと、科学的証明は別の機会にするぞえ。
今回は、違う観点の話じゃ。

アインシュタインは、この理論を1905年 、若干26歳で発表した。
当然・・ 世の中はおろか、当時の学会で認められるはずはない。

なぜか?

当道場の塾生なら、簡単に答えられるな!

そうじゃ。

それは、それまでの一般常識とは余りにもかけ離れた事柄のオンパレードだったからじゃ。


相対性理論を認めてしまうと・・
従来無条件に受け入れられていた物理の基本概念が全く変わってしまうのじゃ。
たとえば、長さや時間は絶対的なものではなく、どのように観察するかによって変わってしまう「相対的」なものとなる。
(これが、「相対性理論」という名称のもととなった)

このように、それまで「絶対的」と思われていた「常識」が「違う!」となる。
それを受け入れてしまうと、
「常識」を「絶対的」と声高に叫んでいた人たちは、どうなるかな?
「うそつき!」となってしまう。
しかも、その者たちが権力者だったとしたら、どうなる。
これ以上、言う必要もなかろう!
このようなことも、それ以前にも幾らであった。

コペルニクスが、地球が宇宙の中心で、太陽も地球の周りを回っているとした、
中世の「常識」を覆す(くつがえす)「地動説」を唱えたとき、
彼はどうなったか。
コペルニクス理論を、天体観測によって立証したガリレオがどうなったか。
塾長が説明するまでもなかろう・・・

ならば、次の質問じゃ。

ワシが、なぜ、このような題材を脳内道場の稽古として取り上げたか。
そこの君、答えてくれたまえ!

ウンウン、そうじゃ。
その通りじゃ。

現代の今も、そして、これからも、同じようなことが起こるからじゃ。
今までの「常識」を覆す考えが現れたとき、必ず批判する声が湧き上がるのじゃ。
塾生諸君には言うておきたい。

たとえ、その新しい考えが違っていたとしても、
即座に否定するのではなく、
まず受け入れて考え、討議の材料にしようではないか。
必ずや、そこから、また新しい考えが生まれるはずじゃ。

前回、原爆・・という刺激的な題名を付けたわけも、
これで分かってもらえるじゃろか。
ワシは、大学に入ったとき、この相対性理論を知った。
その衝撃は計り知れなかったのじゃ。
その時、それまで受験勉強の中で必死に勉強してきた「ニュートン力学」が、
音を立てて崩れたのじゃ。
そして、学校教育を呪った(のろった)。
「どうして、このことを、相対性理論があることを、最初に教えてくれなかったのだ。
もっと頭の柔らかかった12、3歳頃に、この考えだけでも教えてもらっていたら・・・」
ただただ、悔しかったのじゃな!
今となっては、青春の入口のエピソードじゃが、片時も頭を離れることのない思いじゃ。