第25回:アインシュタインの悲劇(後編)
2011.01.06
すっかり稽古をサボってしまったのう。
すまん、すまん。
時間が開いてしもうたが、
「アインシュタインの悲劇」の後編で稽古を再開するとしよう。
さて、道場に行くか!
【どこが悲劇か?】
前編は、アインシュタインの思考法が中心の稽古じゃったから、
「どこが悲劇なんじゃい!」と思ったじゃろうな。
さてさて、この後編こそが本筋の稽古じゃ。
心して構えよ。
アインシュタインは37歳の若さで相対性理論を完成させたが、
そこから76歳で生涯を終えるまでの人生は、
「満ち足りた」とは言えんものじゃった。
さて、その理由とは?
これが、本日の最初の稽古じゃ。
これは簡単過ぎたかな?
そうじゃ、統一場理論が未完成に終わったことじゃな。
アインシュタインは、ノーベル賞を受賞しているが、
相対性理論でではない。
「光量子」という量子力学の分野での受賞じゃった。
つまり、彼は、量子力学の権威でもあったんじゃ。
やはり天才じゃな。
彼は、相対性理論を完成させた後、
これを量子力学と統一させる「統一場理論」の完成に没頭した。
しかし・・ダメじゃったんだ。
理論は完成せんかった。
【悲劇の訪れ】
そして、悲劇は訪れたのじゃ。
1927年、ドイツの学者ハイゼンベルグは「不確定性原理」を発表。
これがアインシュタイン最大の悲劇への引き金となるんじゃ。
「不確定性原理」を超・超簡単に説明すると、
ミクロの世界の現象を正確に捉えることは不可能。
ミクロの世界の現象は、確率的にしか解明できない。
下の図をみてくれ。
<電子顕微鏡で電子を見る>
つまり、こうなる。
すると、
「見たい」電子がそこに有ったことは確認できるが、どこに飛ばされたかは不確定である。
つまり、電子の現在位置は「確率的にしか分からない」ということなんじゃ。
目で見ようと、電子を光に代えても同じことじゃな。
光子がぶつかって、やはり電子はどこかに飛ばされるんじゃ。
どうじゃ、なんとなく分かったかな?
「なんとなく・・」で良いからな。
あまり考え込みなさんなよ!
【アインシュタインの反論】
ところが、アインシュタインはこれに猛反発した。
自然界に不確かなものがあるという「不確定性原理」を、ひどく嫌ったのじゃ。
どうしてなんじゃろう?
これが次の問題じゃ。
ここは、アインシュタイン自身に理由を語ってもらおうかの。
【アインシュタインの独白】
私は、確率とか偶然で全てが決定されるというこの原理には、納得できません。
もっと深い、本当の原理があるはずです。
『神は決してサイコロを振らないのです』
このように、彼の深い宗教心が反対のベースにあったことが伺えるのじゃ。
【夢破れ:統一場理論】
彼は人生の後半生の30年を「統一場理論」の研究に費やし、そして成果を見ることはなかった。さらに、「不確定性原理」をめぐる論争でも敗北した。
「不確定性原理」を発表したハイゼンベルグは、当時25歳。
アインシュタインは48歳になっていた。 ・・時代は残酷じゃな!
【最後】
1955年4月18日、「単純なものこそ美しい」の言葉を残して、
アインシュタインはこの世を去った。
【エピローグ】
「鉄腕アトム」のお茶の水博士や、「名探偵コナン」の阿笠博士など、
明らかにアインシュタインの風貌をモデルにしたマンガの「博士」は多い。
これだけ全世界の、そして時代を超える人々に親しまれている科学者はいない。
最後に、ある講演からの抜粋で、締めくくろうかの。
熱いストーブの上に一分間手を当ててみて下さい。
まるで一時間位に感じられるでしょう。
では、可愛い女の子と一緒に一時間座っているとしたらどうですか。
まるで一分間ぐらいにしか感じられないのでは。
それが相対性です。
【参考】電子顕微鏡が捉えた水素原子の写真。雲のように見える姿から、「確率の雲」と呼ばれます。