第22回:原爆の作り方教えましょうか? (2)
2010.04.24
非常に疲れるテーマの続きじゃが、
今回も、心して稽古に臨め!
前にも言うたが、日本人の核アレルギーは際立っておる。
2回もあの災禍を経験したのだから、無理もないがな。
だが、ここは脳内道場じゃ!
脳を鍛える稽古をする場じゃ。
原爆という強い言葉にも揺すぶられることなく、
冷静な思考で判断できる脳を鍛える場じゃ。
よいな!
ところで、道場生諸君!
1999年9月に起こった「東海村臨界事故」を知っておるかな
作業をしていた作業員2名が犠牲になった痛ましい事故である。
この事故で、初めて「臨界」という言葉を聞いた諸君も多かったのではないかな?
おそらく、彼ら作業員も知らなかったと思われるのじゃ。
「えっ!」と思う話じゃろ。
知っておったら、バケツで規定以上のウラン溶液を扱うなどとはせんじゃろう。
ワシは若い頃、原発内で働いていた時期があってのう。
毎日、放射線を浴びながらの仕事に従事し、血液の異常も招いた。
被爆手帳も持っておるくらいじゃからな。
だから、相応の知識がある。
だから、言えることがある。
犠牲になった作業員が、まだ命があるうちに言った証言がある。
「青い光を見た!」
この証言こそ、作業員たちが素人だったことの証明なのじゃ。
この光は、放射性物質が臨界に達し、放射線を放射する時に起きた、
「チェレンコフ光」ではないかと思われる。
(別のスペクトル光という説も有るがな)
ワシも、原発内で何度も目にした光じゃ。
非常に鮮やかなコバルトブルーで、
この世のものとは思えぬ(しかし、悪魔の)光じゃ。
写真:大阪府立大学先端科学イノベーションセンターのHPより
つまり、もし、ワシらのような者が、その光を見たとしたら、
「チェレンコフ光を見た」と証言するはずなのじゃ。
「青い光を見た」と証言した彼らは、
その危険性を何も知らなかった素人だったということなのじゃ。
彼らが浴びた放射線は、核爆発時の爆心に匹敵すると言われておるのに・・
ワシがここで言いたいのは、
世界で唯一の原爆被爆国だと言いながら、原爆を始めとする核の知識を得ることすら異端扱いする日本人の欺瞞(ぎまん)体質なんじゃ!
おっと、ここで、ワシが怒っても仕方ないな!
前回の宿題の回答から、続きの稽古をするとしよう。
問題1:原爆はどのような原理で爆発するのか?
実に簡単な原理じゃ。
核燃料を「臨界点」という核反応の連鎖が起きる状態まで詰め込めば爆発が起きるのじゃ。
前段で話した「東海村臨界事故」のように、比較的簡単に 臨界は起きる。
この核反応をじわじわと少しずつ発生させるのが、原子力発電所、
一気に起こさせるのが原子爆弾というわけじゃ。
この「一気に起こさせる」方法で、原爆には二種類の型がある。
以下の図を見て欲しい。
広島に投下されたのは「円筒型」、長崎は「球型」である。
つまり、臨界点に達していない核燃料を左右に分けておき、
火薬の爆発力で一気に一体化して、核反応を起こさせるのが「円筒型」じゃ。
それに対し、「球型」は、一番外側の火薬を爆発させ、内側に配置した中性子材と核燃料とを一体化させながら圧縮し、核反応を起こさせるという原理じゃ。
実にあっけないほど簡単な原理なんじゃ。
前回、「米国の化学科の学生なら設計できる」と言ったわけが分かったじゃろう。
勿論、実際に作るとなったら、かなり複雑な制御を設計しなければならないし、
なにより高濃度の核燃料を手に入れることが難しい。
だから、イランの濃縮工場に疑いの目が向けられておるのじゃ。
問題2:原子力発電所は、原爆のように爆発しないのか?
原発は、「基本的に原爆にはならない」と断言してもよかろう。
特に、大半を占める「軽水炉」と呼ばれる原発に使われているウラン燃料の濃縮度は3%前後である。
原爆のような爆発的な連鎖反応は起きない、というわけである。
じゃが、可能性がゼロとはいえないことが問題ではある。
どういうことか?
原発も原爆も、核分裂という原子核反応を実用化したものじゃ。
この核反応は確率的に起こる反応で、
不確定性原理により、この確率が厳密に特定できないことが分かっておる。
つまり、完全なる予測計算は不可能ということで、
原理的には、制御不可能の反応が起きることはあり得るとなる。
だからこそ、厚さ1m以上のコンクリートの建物の中で、
さらに厚さ30cmの鋼鉄の容器の中でしか反応を起こさせないようにしている。
その上、二重三重に、万が一の場合、核反応を止める装置を備えている。
それでも、「100%大丈夫」というものは、神でも作れない。
後は、人間の英知と倫理で判断するしかないのだ。
有名なキュリー夫人が1900年に放射能を発見した時、人類は、この重い命題を背負ってしまった。
しかし、それを深く思考することなく、45年後に原爆を作り、
あろうことか、人間の上に爆発させた。それも二度も。
同じ愚を犯さないためには、
核の知識を捨てるべきなのか、乗り越えていくべきなのか・・
道場生諸君、深く考えたまえ!
さて、2回に渡った粗稽古の目的は分かったかな。
この深い思考力を養う稽古だった、ということじゃ!!