第15回:侍(サムライ)と刀

2009.03.28

野球のWBCで「侍ジャパン」が優勝した。
日本人は、ことさらさように「侍」という言葉が好きだ。
また、西洋人も「サムライ」に強い関心を示す。
今回は、侍と、その魂と言われる日本刀について少しマジメに解説する。

近藤勇   長曾禰虎徹(ながそね こてつ)
土方歳三  和泉守兼定(いずみのかみ かねさだ)
沖田総司  加州清光(かしゅう きよみつ)

あまりにも有名な新撰組の3人とその愛刀である。
いずれも名刀と言われる刀である。
3人に限らず、新撰組の面々は身分不相応な刀を所持していた。
上記の刀は、当時でも相当な高額であった。
(現代では、数百万円~1千万円以上と思われる)
いったい、どうして手に入れたのか?
おっと、話が横道にそれた。
その疑問は、「いずれまた」にして、
今回は、侍と刀の話をしよう。

中世ヨーロッパでも、剣が幅を利かせていた時代はあった。
「三銃士」なる物語は誰でも知っているであろう。
さて、また横道へ
脳内道場の塾生であるならば、ここで当然、以下のような疑問を持つであろう。
「三銃士は、剣士なのに、どうして『銃士』と呼ばれたのか」と。
 

三銃士とダルタニアン より

そう、それでこそ、当道場で学ぶ者である。                
ところで、答えは? ・・・簡単である。
彼らの実態は、マスコット銃を装備した乗馬歩兵なのである。
だから、「銃士」と呼ばれた。
しかし、当時の銃は単発であり、馬上からでは命中度も悪かった。
ゆえに、一発打った後は、剣での突撃となった。
自然と剣術の強さが尊重された、というわけである。
ちなみに、三銃士も主人公のダルタニアン(彼は三銃士には入っていない)も
実在の人物である。

さて、本筋に戻ろう。
このように、ヨーロッパでも剣の時代は有り、名剣なるものも存在していた。
しかし、銃の高性能化とともに、剣はすたれた。
これに対し、日本では、
銃が効果的な武器として定着していっても、刀の価値は落ちなかった。
どうしてであろうか。
前回14回まで当道場で猛稽古した塾生ならば、
当然、このような疑問を持つであろう。
かつ、答えを見出すのも簡単であろう。
自分なりの答えをまとめたら、
以下で、自分の答えを確認して欲しい。

西洋の剣にはなく、日本の刀にはあった概念とは、
「武士の魂」=「日本刀」である。
侍とは、その魂たる「日本刀」と共に生死は一如であるとの思想である。

(注釈:一如(いちにょ)とは、「絶対的に同一である真実の姿」という仏教用語)

侍とは、「己の信念」に生き、信念を貫き通した上で死する、
という潔い(いさぎよい)死生観に、多くの人が共鳴してしまうからなのではないか。
かつ、その武士の魂を具現化した象徴が「刀」なのである。

誤解なきよう、追記するが、
ここで言う「死する」ということは、自決という意味ではなく、
「生き抜いた上で死を迎える」という意味である。
責任を全う出来ない場合は潔く腹を切るという行為が、
「自決」と取られるが、そうではない。
「切腹」は、全力で生き抜いた者にしか与えられない「崇高な儀式」なのである。
処罰の場合は、「斬首」であり、明確に区別されていた。

話を戻そう。
武士の魂たる刀の鞘(さや)を抜くと言う事は、
それより先には問答無用の力のみの決着の世界があるだけ、
という極限さに多くの人が痺れ(しびれ)、憧れを持ってしまうのではないか。
西洋人すら、そこに憧れを持つ者も多い。
(トム・クルーズなどがそうですな)
機能という面でも日本刀は特筆すべき性能を持つ。

「たたら製法」でしか作ることが出来ない玉鋼(たまはがね)を心鉄にもつ日本刀は、
硬質な切れ味と粘り強さを合わせ持つ。
おそらく、世界中のどんな剣と切り合せても、相手の剣を折ってしまうであろう。
それでいて携帯してもかさばらず、
手入れさえしておけば、半永久的な耐久性もある武器は、
世界中を探しても存在していないのではないか?
現代に至るまでの「日本のモノづくり」そのものといえる。

一人の人間が筋の通った生き方をする象徴の一つが「侍精神」であり、
それを具現化した「日本刀」と一体の姿は、
先進的なビジネスに相通じるものがあるとは思いませんかな。
今回は、少々真面目になり過ぎましたが、
まあ、これも稽古ですな。