第5回:ゼロ戦と酸素魚雷
2008.05.01
今回は、旧日本海軍が生んだ2つの兵器の話をしましょう。
とは言っても、ここは思考を鍛える道場、脳内道場です。
戦争の話をしたいわけではありません。
比類なき優位性を持つことが、逆に「最大の弱点」になることの話です。
まずは、以下のプロローグからお聞きください。
ゼロ戦(零式艦上戦闘機)のことは、多くの人が知っていると思う。
昭和15年に登場したこの戦闘機は、その年が皇紀(今では消えた年号ですが)2600年に当るので「零式(れいしき)」と命名され、通称「ゼロ戦」と呼ばれた。
当時としては驚異的な性能と武装を誇ったゼロ戦は、連合国相手に華々しい戦果を上げた。
戦闘に加わった最初の1年間で敵機を100機以上撃墜しながら、ゼロ戦の撃墜はゼロ(地上砲火により2機撃墜)という記録がその強さを物語っている。
一方、世界で唯一日本海軍のみが実用化に成功したのが酸素魚雷である。
これは、少し説明を要するので、我慢して聞いて欲しい。
艦船攻撃用の兵器である魚雷は、石油などの燃料と空気を燃焼させたガスでエンジンを回す。
問題は、この空気にあった。
燃料1に対し14.5倍もの量の空気が必要であった。
しかし、燃焼に使われるのは、空気に20.9%含まれる酸素のみであり、残りの約79%は燃焼に使えない窒素である。
海中に潜り目標に向かう魚雷は、途中で空気の補充が効かない。
つまり、搭載可能な空気量が魚雷の性能を決めてしまうのである。
(空気量を増やせば、燃料や爆薬の量が少なくなってしまう)
そこで当然、「空気の代りに酸素のみを使用すれば」という考えが出てくる。
脳内道場に通っていなくても、そのくらい考えられるであろう。
そう、原理的には1/5の量で同性能が得られる。
しかも、その浮いた容積(4/5)に燃料を搭載すれば、長距離の射程と高速が得られる。
また、爆薬の搭載量を増やすことだって出来る。
魅力たっぷりな案である。
これが「酸素魚雷」である。
もちろん、各国は競って酸素魚雷の開発に取り組んだ。
そして、みな失敗・頓挫した。
酸素と燃料を化合させたとたんに爆発を起こすのである。
(学校の化学の実験で経験された方もいるであろう)
日本でも事情は同じであった。
しかし、日本だけは諦めることなく研究を続け、ついに1933年、酸素魚雷の開発に成功した。
魚雷の始動時は空気で燃焼を行ない、徐々に酸素の濃度を上げていけば魚雷が爆発しないことを発見したのである。
この成果は劇的であった。
当時の、日米の魚雷の性能比較を見て欲しい。
とは言っても、ここは思考を鍛える道場、脳内道場です。
戦争の話をしたいわけではありません。
比類なき優位性を持つことが、逆に「最大の弱点」になることの話です。
まずは、以下のプロローグからお聞きください。
ゼロ戦(零式艦上戦闘機)のことは、多くの人が知っていると思う。
昭和15年に登場したこの戦闘機は、その年が皇紀(今では消えた年号ですが)2600年に当るので「零式(れいしき)」と命名され、通称「ゼロ戦」と呼ばれた。
当時としては驚異的な性能と武装を誇ったゼロ戦は、連合国相手に華々しい戦果を上げた。
戦闘に加わった最初の1年間で敵機を100機以上撃墜しながら、ゼロ戦の撃墜はゼロ(地上砲火により2機撃墜)という記録がその強さを物語っている。
一方、世界で唯一日本海軍のみが実用化に成功したのが酸素魚雷である。
これは、少し説明を要するので、我慢して聞いて欲しい。
艦船攻撃用の兵器である魚雷は、石油などの燃料と空気を燃焼させたガスでエンジンを回す。
問題は、この空気にあった。
燃料1に対し14.5倍もの量の空気が必要であった。
しかし、燃焼に使われるのは、空気に20.9%含まれる酸素のみであり、残りの約79%は燃焼に使えない窒素である。
海中に潜り目標に向かう魚雷は、途中で空気の補充が効かない。
つまり、搭載可能な空気量が魚雷の性能を決めてしまうのである。
(空気量を増やせば、燃料や爆薬の量が少なくなってしまう)
そこで当然、「空気の代りに酸素のみを使用すれば」という考えが出てくる。
脳内道場に通っていなくても、そのくらい考えられるであろう。
そう、原理的には1/5の量で同性能が得られる。
しかも、その浮いた容積(4/5)に燃料を搭載すれば、長距離の射程と高速が得られる。
また、爆薬の搭載量を増やすことだって出来る。
魅力たっぷりな案である。
これが「酸素魚雷」である。
もちろん、各国は競って酸素魚雷の開発に取り組んだ。
そして、みな失敗・頓挫した。
酸素と燃料を化合させたとたんに爆発を起こすのである。
(学校の化学の実験で経験された方もいるであろう)
日本でも事情は同じであった。
しかし、日本だけは諦めることなく研究を続け、ついに1933年、酸素魚雷の開発に成功した。
魚雷の始動時は空気で燃焼を行ない、徐々に酸素の濃度を上げていけば魚雷が爆発しないことを発見したのである。
この成果は劇的であった。
当時の、日米の魚雷の性能比較を見て欲しい。
爆薬量 | 速度 | 射程 | |
米国 | 374kg | 83km/h | 5,500m |
日本 | 500kg | 93km/h | 20,000m |
780kg | 89km/h | 15,000m |
米軍は、日本の酸素魚雷を「長槍(ロング・ランス)」と呼んで非常に恐れていた。
さて、今回はプロローグが長かったが、ここからが道場稽古である。
心して聞いてほしい。
ゼロ戦も酸素魚雷も、当時の日本の高い技術力が生んだ世界に比類なき成果であった。
しかし、この「比類なき成果」が逆に最大の弱点に繋がったのである。
それは何か。
絶対的な優位を誇っていたため、『それを捨てられなかった』ということである。
一切を捨てて、新製品を開発するという新たな次元に入れないのである。
ゼロ戦に勝てない米空軍は、それまでの戦闘機を捨て、新型機を次々と開発してくる。
しかも、ゼロ戦の長所・弱点を徹底的に研究し、それを凌駕する戦闘機を投入してくる。
それに対し、日本は新型機の投入が思うに任せず、ゼロ戦で戦い続ける。
戦争末期のゼロ戦の苦闘は語るのも辛いくらいである。
一方、酸素魚雷をしのぐ魚雷は、ついに登場しなかった。
日本の優位は保たれたのである。
しかし、その優位は思いもかけぬ方向から崩れていく。
酸素魚雷の優位性に溺れた日本では、レーダーの開発が遅れた。
「それが何の関係がある??」と思うかもしれない。
実は、酸素魚雷が最も威力を発揮するのは、夜間戦闘においてである。
夜間、敵から発見されにくい超遠距離からの攻撃が可能なことにある。
だが、レーダーが発明されてしまえば、そんな優位は帳消しになる。
それどころか、はるか彼方から味方の動きは敵に察知されてしまう。
日本得意の夜間攻撃は、逆に米軍有利へと反転してしまったのである。
この2例が示すように、強力な長所は、新規の開発、取組みの実現を阻害する要因となる。
会社が儲かっているときに、大幅な企業改革に踏み切れないことと同じである。
逆に、追い込まれているときは、企業改革のチャンスと認識すべきだ。
今までを捨てることが出来るからである。
それでも出来ないときは? ・・ですか。
結果は言うまでもないでしょう。
最後に以下の魚雷の性能を見て欲しい。
搭載爆薬量 1,600kg、速度37km/h、射程43,000m
速度こそ劣るものの、その破壊力、射程の長さは群を抜いている。
速度を18.5km/hに落せば、78kmの射程も可能と言われた。
戦争末期に登場したこの魚雷の名前は「回天」。
映画等で、この名前をご存知の方は結構いるだろう。
そう、人間が乗り込み操縦する、通称「人間魚雷」と呼ばれた自爆兵器である。
日本が世界に誇った酸素魚雷の、最後の進化の姿であった。