第7回:建設会社の経営(5)
2007.10.01
◆企業の寿命
当たり前の話であるが、全ての企業には創業期があった。
その時のことを考えてみると、創業者が一人で頑張ったか、あるいは数人の仲間と寝食を忘れて頑張ったはずである。
そして、そのように頑張っていた会社には経営のムダは皆無であったろうと思われる。
しかし、このことは当たり前ではない。
創業時に甘い期待に身を浸し、うたかたの泡のごとく消え去ってしまった企業のほうが圧倒的に多いのである。
統計によると、50年前に存在し今も存在している会社はわずか3%ということである。
10年を生き延びる会社ですら10%を切る比率でしかない。
企業の寿命は理論的には無限である。
人と違って生命的な寿命というものは無い。
しかし、平均すると人よりはるかに短命である(せいぜい犬並である)。
これはなぜであろうか。
一言で言えば、年月と共に贅肉(利益を上げない部分)が増え、心臓(キャッシュ)がその負担に耐えられずに絶命(倒産)するのである。
◆創業時に帰れ?
よく「創業時に帰れ」と社員を叱咤する経営者がいる。
だが、当の本人が創業時を知らないケースが大半である。
ゆえに従業員が理解出来るはずもない。
勿論、それは精神的な比喩で、「真摯な気持ちで自分の業務を見直せ」という意味が込められているのは分かる。
しかし、それならそれでストレートにそう言ってくれたほうが聞いているほうは分かり易い。
現経営者が創業者である場合は、まずこんなせりふは口にはしない。
筆者も創業者であるが、「創業時になんか戻りたくも無い」のである。
ここまで生き延びたのさえ奇跡としか思えないのに、また元に戻ったら今度は倒産するに決まっていると思っている。
勿論、精神的な意味は理解できるが、こんなせりふは自らの経営指針を示すことが出来ない経営者の怠慢としか思えない。
草葉の陰で創業者が嘆いているであろう。
経営とは未来へ向かって突き進んでいく行為である。
過去の反省は必要だが、それも未来の成功確率を上げるための反省でなければならない。
未来に役に立たない反省なんてする意味がない。
まさに「反省だけならサルでも出来る」である。
「創業時に帰ったって何にもない」のである。
◆1-3-6の理論
面白いことに会社はリニア(つまり直線的)に成長するのではない。
階段を上がるがごとく、ある所までは平行に進み、臨界点で突如跳ね上がって次の段階に移行し、そしてまた平行に進む。
この臨界点が「1-3-6」なのである。
つまり、創業して売上高1億円まではリニアに上る。
そこで平行移動に入り、次の飛躍時に3億円まで上がる。
そして次が6億円、さらに次は10億円、30億円、60億円、100億円、という具合である。
では、その間はどうなっているのか。
例えば10億円の会社が30億円に達するまでの間、当然、15億円、20億円というような時期もあるはずである。
その間はとても不安定なのである。
一時、景気が良くて売上が伸びても景気がしぼめば元の売上に戻ってしまう。
こんな経験をした会社も多いのではないか。
「それは何故か」の解が1-3-6の理論にある。
つまり、10億円から30億円に向かう間に、10億円の経営スタイルを30億円のスタイルに変えなくてはならないのである。
それを10億円のままの経営をしているから、景気が落ちれば元の木阿弥に戻るのである。
スーパーゼネコン各社は、バブル期2兆5000億円まで売上を伸ばした。
今は1兆から1兆5000億円程度である。
つまり、1兆円の経営スタイルのまま売上を伸ばしていたから、また元に戻ってしまったのである。
スーパーゼネコンの絶頂期を考えて欲しい。
売上高が同規模の製造業と同じ経営の強さがあったかを見ればよい。
例えば3兆円規模の会社であるキャノンの経営と比較してみれば、その差は一目瞭然である。
話を戻す。
建設会社が1億円の会社であった時、経営者自らも現場に出て、それでも全ての現場を手中に収めていたはずである。
そして、大半の会社がこの頃は下請けの仕事ばかりであったであろう。
それが3億円ぐらいになると、ゼネコンに衣替えしたり、サブコンのままの場合は、経営者の右腕になるような人を育てるか入社させるかしたのではないか。
そうでない会社は景気の上下に左右され、結局1億円に戻るか、背伸びして潰れたかである。
言いたいことは、1-3-6という数字の遊びではない。
「節目の段階ごとに経営スタイルを変えていかなければ成長は出来ない」ということである。
しかし、ほとんどの企業は、どこかで成長を止める。
つまり、そこで経営スタイルを変えることが出来なくなるのである。それは意外に早く来る。
◆経営のムダ
成長していくうちに、企業にはかならず贅肉がつく(ムダが生まれる)。
贅肉がついたままで景気後退のあおりを受けて売上が急減すれば命取りになりかねない。
しかし、日々贅肉を削ぎ落とし続けることは結構大変である。
だから1-3-6の節目ごとに全面的なそぎ落としを行なうべきなのである。
それが経営スタイルの変更であり、正しい意味でのリストラ(再構築)なのである。
もっと具体的に言えば、業務フローの短縮、管理業務の圧縮、資本回転率1以下の資産の整理、人員配置の是正、選別受注の強化などである。
そして、人の働きを全て利益に関わる働きに強制的に変え、逆バネ(元に戻ってしまうこと)にならないために、新たな業務の仕組みに合ったコンピュータシステムを導入し、元の業務を捨てさせるのである。
自社内でこれが出来なければ、外のコンサルの力を借りてでも実行するのである(コンサルの選択が少々難しいですが)。
ここで大切なポイントがある。それは経営者自身の姿勢である。
当然ながら社内の抵抗は激しい。
経営者がこの抵抗に負けて妥協してしまうのである。
筆者もコンサルをやっていて、依頼者である経営者のこの種の裏切りにあったことが幾度かある。
こうなるとコンサルも手を引かざるを得なくなる。
結果は最悪になる。
勝利を勝ち取った社内の抵抗勢力は意気盛んになり、ムダの拡大生産に拍車がかかる。
こうしてその企業は衰退の一途をたどるのである。
途中で妥協するくらいなら最初から改革などすべきではないのである。
ここで経営者の方々は胸に手を当てて考えて欲しい。
企業にとっての最大の癌は、自分のすぐ近くにいる場合が多いのである。
筆者も自社で何度か経験したことである。
へたをしたら自分自身がそうであるかもしれない。
日産自動車の前社長はご自分でそれを悟り、ルノーに経営を託したのである。
そうなる前に手を打たねばならない。
◆ホリエモン的経営
ライブドア・堀江元社長の逮捕は、ビジョン無き経営の末路といえる。
1年前、私は本欄で、以下のように書いた。
「ライブドア・堀江社長や楽天・三木谷社長のような勝ち組と言われる経営には
上記の理論(1-3-6の理論)は当てはまらないように見える。
短期間での急成長、有り余る資金力、戦略無き(のように見える)行動力、
どれ をとっても1-3-6理論どころではない経営である。
それは筆者も認める。
何より結果が全ての経営の世界においては、間違いなく勝者である。
しかし、この先もとなると、それは分からない。
あまりの経営の早さに本人も振り回されているように思える。
特に、ライブドアの堀江さんはまっしぐらに突っ走ることで生きているような
人である。動きを止めたら死んでしまう海のサメみたいな経営です・・・」
まさに指摘が当たってしまったわけですが複雑な思いです。
なぜなら、同じ回の「あとがき」で、私は「堀江さんは次の一手を真剣に考えておられるでしょう。
頑張って欲しい」とエールを送っているのです。
不徳の致すところですが、結果としてこの期待は裏切られてしまいました。
それは、逮捕によって裏切られたのではなく、その後に逮捕された村上ファンドの村上元代表の証言で分ったことでです。
ニッポン放送の買収劇の時、堀江元社長はさかんに主張していました。
「インターネットとメディアの融合ビジネスが未来を切り開く」ことをです。
しかし、その言葉の全ては村上元代表の入れ知恵だったわけです。
堀江という人は、これほどに情けない経営者だったわけです。
そんな彼でも、手元には莫大な現金が残っていると聞きます。
多くの真面目に頑張っている中小企業の経営者たちから見たら、「空しい」の一言ではないかと思います。
結局、今の日本は不正をしても蓄財したほうが勝ちかという空しさです。
ホリエモンの予備軍的な経営者は、まだ何百人もいます。
これから始まる裁判がどのような法的結論を出すか、彼等は固唾を呑んで見るはずです。
筆者は、冷静に裁判の推移を見守っていきたいと思います。