第20回:坂本龍馬

2010.01.27

しばらく稽古を休んでしまったわい。
当道場の猛稽古に慣れてきた諸君も、すっかり脳みそがなまってしまったじゃろうな。
すまん、すまん
それじゃ、稽古を再開するか。

さて今回は、旬の人を取り上げてみよう。
歴史上の人物を「旬」と言うのも変だが、今年のNHK大河ドラマの主人公だし、
人気者の福山君も熱演しておるようじゃから、まあよいであろう。
と言っても、いまさら「龍馬の生涯」も無いじゃろうて、幾つかの問題を稽古の題材としよう。
さて、幾つ答えられるかな!

<問題1:龍馬? 竜馬? どっち?>

「龍馬」が正解のようじゃが・・
だが、司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』が「竜馬」となっておる。
これですっかり有名になったので、「竜馬」という名も正解かな?


<問題2:誕生日と死亡日が一緒?>

生まれが、天保6年11月15日、 死亡が、慶応3年11月15日
「やっぱり!」と単純に思うようでは、稽古が足らんな!
現代の暦で換算すると、
生まれは、1836年1月3日、 死亡は、1867年12月10日
ちがうぜよ!
満31歳と11ヶ月7日の生涯じゃったんじゃな。


<問題3:脱藩者ゆえ、土佐藩の刺客から逃げていた?>

龍馬は脱藩者のくせに、妙にのんびり構えておったように見えるが・・
実は、脱藩直後は、結構びくびくして、逃げ回っておった。
最初は、長州に逃げてかくまわれ、その後、九州を転々として、
結局、江戸の千葉道場に逃げ込んだのじゃ。
そこで、勝海舟に匿われ、彼の神戸海軍塾の塾頭をつとめるなどして、
追っ手を逃れていたようじゃな。
その後、勝海舟や福井藩主・松平春嶽の口ぞえで、
やっと、土佐藩主・山内容堂から脱藩の罪を許されたのじゃ。
龍馬も「やれやれ」とホッとしたことじゃろう。
「追っ手など怖くもないわい」なんてことはなかったのじゃな。ハッハッハツ


<問題4:活動費や生活費はどうしていたのか?>

そうなのじゃ。
ドラマでは余り出てこんが、カネがなければ何もでけんからな!
龍馬は、土佐藩を脱藩後、下関の本陣を営む「伊藤家」の庇護を得たんじゃ。
土佐での盟友、武市半平太の友であった桂小五郎の紹介とも言われとる。
その後、下関の豪商白石正一郎なども紹介され、羽振りがようなった。
白石正一郎は薩摩藩御用達の商人でもあり、
龍馬は薩摩への足がかりを得たようじゃ。
今度は、薩摩の後ろ盾で長崎に拠点を持ち(亀山社中)、
グラバー商会などとの接点を作っていったのじゃな。
まあ、人に恵まれたというか、
人を引き付ける何かを持っていたのは確かじゃな。
その「人たらし」の力がカネを生んだといえよう。
これは、我々にも多いに参考になることじゃな!


<問題5:龍馬は背が高かった?>

写真と当時着用していた紋付のサイズを元に研究者が計算したところ
180cmと出たそうじゃ。
平均身長155cmぐらいと言われる江戸時代末期では、かなりの大男じゃな。
もっとも、他の研究では174cmや169cmという説もあるがのう。
まあ、それでも平均よりはかなり高いと言えるな。


<問題6:龍馬は剣より拳銃を愛用した?>

龍馬は、北辰一刀流の免許皆伝というから剣の腕もたいしたもんじゃ。
じゃが、龍馬は高杉晋作から拳銃をもらってから、拳銃の大ファンになったようじゃ。
その拳銃は、S&Wモデル2アーミー 33口径と言うたが、
寺田屋事件の際に撃ったのはこの銃である。
しかしこの事件の際に紛失し、次には自分で買い求めた。
それが、下の写真のS&Wモデル1 22口径じゃ。
龍馬は、妻・お龍と1丁ずつ所持していたという。
この銃は暗殺された時も携帯していたが、
床の間に置いていて、発砲することなく殺害されているのじゃ。


<問題7:龍馬を殺害したのは誰?>

これは、諸説紛々、いろいろ言われてきたが、
今では、会津藩・京都見廻組の桂隼之助という説が有力なのじゃ!
殺害現場が、商家の中二階という天井の低い部屋ゆえ、
小太刀の名人の隼之助という説は信憑性が高いじゃろな。
だが、この暗殺を指示した黒幕は誰か? となると・・・
それは未だに闇じゃ。


<問題8:龍馬は当時から有名人?>

生前はほとんど無名に近かったようじゃ。
一緒に暗殺された中岡慎太郎のほうが有名人で、
あの暗殺も、龍馬より中岡慎太郎を狙ったものとの説も有力じゃ。
明治16年(1883年)、高知の『土陽新聞』に龍馬のことが載り、
大評判となったのが有名になった最初じゃ。
次は日露戦争時で、日本海海戦の直前に、龍馬が皇后の夢枕に立ち、
「日本海軍は絶対勝てます」と語ったという
眉唾ものだが、この話が全国紙に掲載され、龍馬の評判が全国に広まったとな。
戦後は、司馬遼太郎の小説が、ブームの原点じゃな。


<最後の問題>
高知の桂浜には坂本龍馬の銅像が立ち、土佐湾をはさんだ室戸岬には中岡慎太郎の銅像が立つ。
二つの銅像の見ている先は同じ方向と言われちょるが、本当か?
答えは、自分で確かめたらよか!