第2回:浦島太郎

2008.02.01

 
今回は、「浦島太郎」を題材にする。
この話の結末は悲惨である。
玉手箱を開けて老人になってしまった太郎。
胸が痛くなる話ではないか。
ようするに、この結末は「後味が悪い」のである。
この『後味が悪い』という感情は大切だ。
考えることの動機になるからだ。
では、どんなところが『後味が悪い』のか、今回はこれを考えて欲しい。
それでは道場に来い!    稽古をするとしようか。
 
まず、このおとぎ話の特異性(変わっているところ)を考えてみよう。
たいての童話は、「マジメな主人公」が「努力」の末に「幸せ」になる、という話である。
つまり、「~したので幸せになりました。」というオチが話のラストにくる。
子供たちに『まっとう』な規範意識(正しいことを行う気持ち)を芽生えさせようという意図が、そこにある。

しかし、である。
浦島太郎は、「亀を助けたから、こんなことになってしまった」のだ。
太郎は、「良い行いをした」→ ゆえに「不幸になった」のである。
これでは、子供たちに「良い行いをしても、損するだけだ」と思わせてしまうではないか。
いったいぜんたい、なぜ、こんな結末を??

それでは、作者(誰かはわからないが)が、この話を不幸な結末にした理由を考えてみるとしよう。
自由に、どんな理由でもいいから考えてみることだ。

たとえば、
「乙姫様との約束を守らなかった浦島太郎がいけない」とすれば、『約束は決して破ってはいけない』という教訓話になる。

あるいは、
「たった一人の母親を家にほったらかしにして遊んだ罰だ」とか、「竜宮城のいかがわしい接待に骨抜きにされた報いだ」とか言えば。『太郎のように悪い行いをしてはいけない』という戒め話になる。

実際、
「竜宮城での浦島太郎の行状は、とても子供に話せない内容だった。だから、童話にした時にこの部分は改変された」
という説もある。

浦島太郎は、明治時代に国定教科書に載せられた。この時、オリジナルの話が教科書向きに書き換えられたのは事実である。こう聞くと、オリジナルの話を読んでみたいと思うであろう。

どうかな?
これを『心理のわな』という。
あなたも、一瞬、この『わな』に嵌った(はまった)のではないかな。
このように本人の疑問や悩みが大きい時は、『心理のわな』にはまり易い。
仕掛けられた『わな』にはまらないためには、脳内の鍛錬(たんれん)が必要である。
その鍛錬とは、話を思いっきり横へ飛ばす訓練である。
そう、今回の稽古は、『話を思いっきり横へ投げ飛ばす』稽古である。
先ほどの「結末の理由」も、『話を横へ投げ飛ばす』例である。
無防備だったあなたは、横へ飛ばされてしまったであろう。
では、あなたなら、どんな投げ飛ばし方をしますかな?
聞かせてもらいたい。

おっと、そんなに深刻に考えてはいかんな。
そのように、考えが「狭く深く」なったら要注意だ。
思考が煮詰まってしまい、相手の『わな』に簡単にはまる危険が増すからだ。
だから、この問題は、ここで「コーヒーブレイク(お茶でも飲んで一服する)」とする。
実は、『コーヒーブレイク』は、心理の『わな』から逃れる有効な防御策である。
よ~く、おぼえておくように。
『相手に引きずられている』、あるいは『議論が狭く深くなっている』と感じた時は、必ず「コーヒーブレイク」としよう。

そして、考えを「深く」ではなく、「横へ」広げていこう。
これが出来るだけで、あなたは免許皆伝に一歩近づいたのだ。
それでは、次の疑問、「玉手箱とは何だったのか」、
さらに言えば、それを太郎に持たせた乙姫様の真意とは?
・・・・・・
おっと、時間が来たようだ。 あとは自分で鍛錬したまえ。