第1回:3月15日現在
2011.03.15
今回は臨時号じゃ。
皆が福島第一原発について正しい理解をしてほしいと思っておる。
特別講師を招いての解説をしてもらう。
誤解がないように最後までしっかり読むんじゃぞ。
2011年3月11日、未曾有の地震被害に見舞われた日本に厳しい追い打ちが襲った。
福島第一原発の事故である。
その経緯と問題点を追う。
【水素爆発】
多くの報道で既に知っているだろうが、原子炉の構造を簡単に説明する。
下図は、日経新聞の資料から借用し、注釈を加えた。
1号機、3号機で起きた水素爆発は、第4の壁(格納容器)と第5の壁(原子炉建屋)の間、つまり原子炉建屋内で起きた。
報道写真を見ると上部が派手に吹き飛んでいるが、このこと自体は心配ない。
燃料被覆管のジルカロイ(ジルコニウム合金)は高温になると周囲の水と反応し、水素を発生させる。この水素は、圧力容器から格納容器を経て、原子炉建屋内に放出される。
水素の放出が続き、建屋内の空気の酸素との比が一定割合になると、爆発する。
この爆発のエネルギーが外に逃げるように、原子炉建屋は設計されている。
爆発エネルギーが内側に向かい、格納容器に損傷を与えることを防ぐ意味から、
これはこれで正解だ。
非常事態ではあるが、想定内の範囲である。
【原子炉内で何が起きたのか】
水素が発生したということは、燃料棒の温度が上昇し、燃料被覆管のジルカロイが水と反応をしていることを意味する。
温度上昇の要因は、冷却水が減少あるいは無くなったからである。
この経緯は報道やネットで繰り返し伝えられているが、時系列で整理してみる。
①地震により「原子炉停止」命令が出された。
②原子炉内の燃料棒の間に「制御棒」が挿入され、核反応は遮断された。
<ここまでは正常だった>
③冷却水を送り込むポンプの電源が地震により断たれ、ポンプが停止した。
④燃料棒の高熱のため冷却水は蒸発し、水位が下がったが、ポンプ停止で水は供給されない。
<非常事態だが、想定済みのこと>
⑤ここで、予備電源のディーゼル発電機が動き、ポンプは再稼働し、水が供給される。
※しかし、1号機、3号機は、予備の発電機が動かず、水は減り続け、燃料棒が露出した。
2号機は、発電機が動き、水位は正常状態に戻った。
<1,3号機は緊急事態だが、それでも想定内ではあった>
⑥1号機、3号機は緊急事態となり、ついに海水を注入した。
⑦このことで水位はいったん上昇した。(下の左図)
⑧しかし、燃料被覆管のジルカロイが水と反応し、発生した水素が圧力容器内に溜まり、
容器内の気圧が上昇。水面を下に下げ、さらに気圧に負けて海水が入らなくなった。
(上の右図)
⑨それで、圧力容器の弁を開けて水素を逃がし、容器内の気圧を下げた。
⑩再び、水位は上昇し出した(下の左図)
⑪それでも、発生した水素は「圧力容器 → 格納容器 → 原子炉建屋」と放出され、
原子炉建屋内の酸素と反応し、水素爆発を起こした(上の右図)
<爆発で、汚染空気が大気に放出された事故となるが、想定されたことではある>
⑫1号機、3号機は、水素爆発で原子炉建屋の屋根および上部の壁が崩落したが、
圧力容器 内の水位は回復し、安定状態に向かう。
⑬順調だった2号機の発電機が燃料切れで停止し、冷却水ポンプが動かなくなった。
⑭圧力容器内の水位は急速に低下し、燃料棒が完全に露出する危険状態に陥る。
⑮海水注入を開始し、水位は再び上昇を始めた。
⑯しかし、水素を逃がしていた弁が突如閉まり、容器内の水素圧力が高まり、海水注水が
出来なくなった。(下の左図)
⑰やがて、炉内は完全に水が無くなり、空焚き状態(核反応は停止しているので、正しい
言い方ではないが)となる。 (下の右図)
⑱弁の開放に成功し、海水が注入され、燃料棒も完全に水没した。
【危険は去ったのか?】
原子炉に関しては、完全に危険は去ったといえる。
環境問題が残っているが、環境に放出された放射性物質は徐々に希釈され、間もなく安全レベルまで下がるであろう。
「冷温停止」になった以上、当原発の危険性はなくなった。
運転を再開した場合は、分からないが・・
【人体に対する影響は?】
私は、かつて、この福島第一原発で働いていたことがあり、被曝しました。
浴びた被ばく線量は私の被曝手帳に記録されていますが、これは正確ではありません。
原発関係者といえども、1日に浴びる許容放射線量は法律で制限されています。
しかし、その量を浴びてなお、作業が終わらないことも度々でした。
私は、浴びた放射線量を記録する「線量計」を体から外し、原子炉内に入りました。
結局、長時間、記録されない放射線を浴び続けたわけです。
こんなことを何度か繰り返しました。
ですから、原発内で働いていた人たちの平均レベルよりずっと多い被曝をしました。
私は、放射線障害の自覚症状は出ませんでしたが、
半年後の電離放射線健康診断で、血液に異常値が出ました。
ですが、幸いにも1年後には正常値に戻りました。
放射線に対する抵抗力は、個人差がとても大きいようです。
それは、広島・長崎の被爆者の方の記録からもうかがえます。
爆心地近くでも生き延びた人がいた反面、5km以上離れて被曝した人の中から多くの死亡された方が出ています。
不謹慎な言い方ですが、
「悪魔はきまぐれ」です。
ですから、幸運に頼るのではなく、自衛はすべきです。
肌を露出しない、雨に打たれない、外出後は手を洗う、うがいの励行、洗濯物を取り込む時はほこりを叩いて落とす、爪は短く切る、などは基本です。
ただし、あまり神経質になっても仕方ありません。
今回の事故でいえば、原発外で被爆された方の被曝量は微量ですので、
健康障害は出ないでしょう。
まして、「東京でも危ない」などの風評に惑わされる必要はありません。
この文章をお読みの方は、賢明な方と思いますので、冷静な判断をお願いします。
【問題は山積している】
一番の問題は、冷却水ポンプを動かす電源確保ができなかった点です。
たぶん、使われる可能性の低い「非常用」の設備におカネを掛けられないという経済性の
弱点が浮き彫りになったと思います。
私は原子力施設の設計や施工に数多く関係してきましたが、この予算の壁に苦しんできました。
難しい問題です。
国会での真剣な討議(つまり、感情的ではなく、論理的な討議)を経て、地に落ちた原発の信頼性を確保して欲しいと思います。
二番目の問題は、個人に責任を求める風潮を改めることです。
今回も東電の首脳部や菅首相という個人を責める論調があります。
(全くかばうに値しないとは思いますが・・・)
それでは、問題は何も解決しません。
また、特定されてはいませんが、おそらく東電内では、関係者の処分が行われると思います。
これも間違えています。
東電内に悪意の個人がいたとは思えません。
個人が間違いを犯す背景、深い要因があるのです。
それを浮き彫りにする取り組みが無ければ、元の木阿弥です。
先ほど、私は、浴びた放射線量を記録する「線量計」を体から外し原子炉内に入ったと書きました。
勿論、このような行為は厳重に禁止されていましたし、私も十分に認識していました。
だから、迷いました。
しかし、リーダーとして不備な仕事は出来ません。
その当時の私の仕事は、定期検査時の様々な場面、作業で放出される放射能値を測定・分析するという大事な仕事でした。
我々の仕事の不備は、作業員のみならず、周辺の住民を含めた多くの人の危険につながります。
また、データが取れないから全作業を中止するとも言えません。
部下に強制も出来ず、意を決して、自分の線量計を外しました。
このようなことは、一切記録されず、口外もしてきませんでした。
この私の一連の行為は、英雄行為などではなく、間違った行為なのです。
でも、そこに追い込まれていく個人は、今回の東電の職員の中にもいるだろうということが心配です。