第38回:原発事故の最も深い原因

2013.06.29



最初にエピソードを2つ。

<その1>

自民党の高市早苗政調会長が、原発再稼働をめぐり「原発事故で死亡者が出ている状況ではない」と発言したことが問題視されています。
民主党の細野豪志幹事長は、記者団に対し、政府が認定した福島県内の「震災関連死」が1400人近くに上ると指摘しました。

高市氏の発言は、事実を述べたまでですが、事故の影響が収束していない現実を考えれば、軽率のそしりを免れません。
ですが、細野氏の発言のほうが問題です。
「震災関連死」=「原発事故で死んだ人」のようなすり替えを意図しているからです。
細野氏は、事故当時の政府責任者の一人です。
このような引っ掛け的な発言は慎むべきと思います。

<その2>

原発事故が起きたあと、九州や沖縄に避難した人たちがいました。
「放射能が来る」・・事故後、マスコミは大々的にこう報道しました。
この影響で、放射能汚染から遠い場所として九州や沖縄へ避難する家族がかなりいたそうです。
さすがに、今は大半の方が元に戻っているようですが、帰らない決心をした主婦たちがいると聞きました。
(ご主人は、仕事のことがあるので、そもそも避難していないそうです)

個人の自由なので、良いも悪いもありませんが、移住した地域で、瓦礫受け入れの反対運動などを行い、地元の人と軋轢を起こしている例もあるようです。
放射能汚染問題も下火になったいまは、PM2.5の汚染のほうが心配なようで、パニックを起こしている人もいるとか。
どこへ行こうと、完璧な安全は得られないと思うのですが、そうは受け止められないのでしょう。

今回の原発事故の深い原因は、「原発に“完璧さ”を求めた結果」という思いがしています。
それでは、特別講師の意見をお聞きします。


 
【絶対安全の呪縛】

世の中に「絶対」に壊れないモノはなく、「絶対」壊れないモノを作る技術もない。
当然、「絶対安全」な原発は造れないのである。
なのに、原発だけは「絶対安全」と言ってきた。
いや、正確に言うと、「絶対安全であらねばならぬ」となってしまっていた。
この実現不可能な「絶対安全」という呪文が、福島第一原発事故の最も深い原因である。

「絶対安全」なら、事故は起きないし、地元住民も安心して暮らせる。
「絶対安全」だから、危機対策も不要だし、緊急対応マニュアルも不要。
「絶対安全」なら、事故を想定しての非常訓練、危機対策体制、住民の避難計画・・全て不要である。

こうして、いつの間にか、原子炉建屋は海のすぐ近くになり、非常用電源の備えもおざなりなった。
「だって、絶対安全なんだろう」 だからである。

こうなると、「危険がある」ことの見返りで交付されたカネを、事故防止のためや、万が一の事故対策費用としてプールしておく必要もなくなる。
自治体も住民も、好きなことに、この「タダ」のカネを使える。
まだある。
正規の交付金や保証金の他に、地元の要求に電力会社が応じて支払った金額は、実態は不明ながら、かなりの額に上ると言われている。
この拠出金の名目は、事故が起きた場合の対策費用や補償費用だと聞いている。
しかし、今回の事故で、地元自治体はそのような対策を全くしていなかったことが判明した。
これらのカネは、全部、事故対策とは無関係なことに使ってしまったのである。

それでも、自治体を責めることはできない。
原発は「絶対安全」で事故など起こるはずがなかったから。
それを信じて疑わなければ、事故対策費など要らないのだから。
別の事に使ってしまおうという気が起きるのは当然である。

しかも、過疎の村に大勢の原発関係者が来て、多額のカネを落とす。
地元にとって、原発は「福の神」だったのである。
「絶対安全」のお札の付いた“打ち出の小づち”。
これが事故の根本の原因なのである。


 
【非常時の備えも訓練もしてはいけない】

「絶対安全」の弊害は、これだけではない。
事前の事故対策が打てなくなり、事故を想定した非常時のマニュアルも作れず、事故対策の訓練も出来ないのである。
そんなことをしたら、「絶対安全」がウソになってしまうから。
この結果、津波を被って危機に陥った原発を守ることが出来なかった。
本格的な事故対策の訓練を受けていない運転員たちは、いきなりぶっつけ本番の事態にさらされた。
ミスを犯すのは当然と言える。

その昔、我々が福島原発で残留放射能の調査を行っていた時にも、いくつもの不具合が発見された。
原子炉の中以外に存在しないはずの核種を原子炉の外で発見したこともあった。
しかし、我々の調査結果と報告が、その後の運営にどう生かされたのかは分からない。
我々は、現場の責任者から、こう言われたのである。
「このことは一切口外しないように。また一切の資料の持ち出しも厳禁である」
あとは闇の中である。

皮肉を込めて言わせてもらえば、あの時の現場責任者の指示は“正解”だったのである。
なにしろ、原発は「絶対安全」だったのだから。


 
【それぞれの当事者】

非難を受けることを覚悟で言うが、
「絶対安全」を言わせたのは、地元住民や自治体、マスコミ。
言わされたのは、電力会社と原発メーカーである。

ただし、地元を加害者、東電やメーカーを被害者と言うつもりは毛頭無い。
その間には巨額なカネが踊り、双方が等しく恩恵に浴してきた事実があるから。
原発の不幸は、この巨額なマネーにあったといえる。

そして、この対立を煽(あお)ってきたのが、平和主義を標榜する団体や有名人、マスコミである。
彼らは、原発をめぐる対立が激化すればするほど、有形・無形の利益を享受できた。
反対の住民の後ろには、常に彼らの影があった。

では、われわれ技術者は、どうだったのであろうか。
数十万人に及ぶ技術者は、さまざまな立場で原発に関わってきた。
ゆえに、推進、反対、さまざまな意見があろうかと思う。
私は、その中の一員として一つの意見を言おう。
決して全員の総意ではないが、多くの技術者の思いと重なると確信する。

原発と一心同体に近い立場にいながら、そのマネーに一番縁が薄かったのが技術者である。
技術者に欲がなかったとは言わない。
だが、その欲は、金銭欲ではなく、技術探究心であり、ある種の名誉欲であった。
それが、推進・反対の双方に利用され、最も悲惨な立場に置かれていったのである。

これまで、実際に健康被害を起こすほどの被曝をした住民はいない。
(違うと言われる方もいらっしゃると思いますが、政府や国連の調査結果によります)
だが、技術者や作業員の中には、かなりの被曝をしたものがいる。
東海村JCO臨界事故では、死者まで出ている。
これば確実な事実である。


 
【技術者としてのざんげ】

原発の公聴会に駆り出された時、
われわれ技術者は、反対派の住民にどんなに責められても「絶対安全」とは言わなかった。
事実を探求し、確たる事実のみを基に仕事を遂行する技術者の辞書には「絶対」という言葉はない。
言葉がない以上、「絶対安全」を口にすることはあり得ない。

しかし、巨額なマネーが全てを押し流していくのである。
自分たちの眼前で繰り広げられたカネに踊る住民の姿を忘れることは出来ない。
そんな思いを持つ技術者は多いと思う。
その巨額なマネーの源泉は、国民の税金であり、電力需要者の料金である。
推進派も反対派も、そんなことは考えもしない。
両者は、「絶対安全」という呪文とマネーで結局は手を結んだのである。
技術者はこの手打ちの蚊帳の外に置かれたが、何も言えなかった。
「自分の将来」というささやかな欲のために、口に封印をしたのである。
私もその一員であったので、同罪ではある。


 
【東電が事故の解析結果を発表】

昨年末の話になるが、東京電力は福島第1原発の解析結果を発表した。
マスコミはあまり報道しなかったが、重要な事柄が幾つも含まれていた。
その時の東電の発表内容をそのまま下記に書く。

1号機は、事故により溶融した燃料が、原子炉圧力容器から外側の格納容器に漏れ、格納容器の底にあるコンクリートを熱で分解しながら最大65cm侵食した。最も厳しい想定では、格納容器の外殻に当たる鋼鉄の板まで37cmにまで迫っていた。
2、3号機でも燃料溶融は起きたと推定されるが、燃料は格納容器内で冷却されている。
1号機の損傷が2、3号機より激しいのは、事故後に原子炉へ注水できなかった時間が長かったためとみられる。
燃料の溶融割合は不明だが、最も厳しい推定では、1号機で100%、2号機は57%、3号機は63%が溶けて格納容器に落下したとしている。
ただし、炉内の様子を直接調べるまでは、あくまでも推定値である。

さらに、東京電力は2号機の原子炉格納容器内の様子を工業用内視鏡で調査し、水位を確認したと発表した。格納容器内の水の状態が確かめられたのは、この時が初めてである。
水位は格納容器の底から60センチの高さしかなく、推定より大幅に低かった。水温は48.5~50度で正常だった。


 
【私の見解】

1号機の燃料の100%損傷は私の予想以上だが、まだ推定の段階である。原子炉内を直接目視できるまでは断定的なことは言えない。
ただし、真相が分かるのは10年以上先の話になるであろう。

米国スリーマイル島原発の事故の時は、10年後に原子炉圧力容器のふたが開けられた。
核燃料の全てが溶融したと言われていたが、溶融割合は50%ぐらいだった。
今回も・・、結局開けるまで分からない。

2号機は内部写真が公表されたが、推定より水面がずっと低かったということである。
燃料棒自体は見えないので、残念ながら損傷具合は不明である。
今後の撮影を期待するしかない。

ただ、溶け具合からみて、壁面はかなりの熱に長時間さらされた様子がうかがえる。
それでも格納容器の破断を免れたということは、容器の強度自体は相当に高かったということである。
この強度は、日本ならではと言える。
どういうことか。

日本の製造業は、JIS規格や法規通りに部品を造ることはしない。
それより高い水準で造るのである。
この「求められる基準より高いものを造る」という思想は、設計にも施工にも生きている。
少しでも安全側に行こうとする日本のモノ造りのDNAなのであろう。
その結果、計算された強度の1.2~1.5倍の強度の製品が造られている。
これが日本製品の原価が高くなる理由の一つであるが、同時に安全度の高さの理由でもある。
最近、韓国の原発で1万点を超す部品が手抜き製品であることが判明して大騒ぎになっているが、韓国や中国には、日本の製造業のような思考はない。
隙あらば「手を抜く」ことが常識化している。

日本の原発の強度は、このように高い水準にあることを、福島第一原発の2号機の内部写真が語ってくれている。
私はそのように思う。


 
【原子力行政の混迷】

以前にも述べたが、地震波をキャッチした直後、原子炉は緊急停止した。
さらに、事故直後、緊急炉心冷却装置が稼働したことは確認されている。
このように、緊急装置はどれも正しく作動した。
ただし、電源が失われたことで、冷却可能時間は限られていた。
(最も性能が低かった1号機で約8時間)
こうなると、残された手段は海水注入だけになる。
それでも、躊躇せず海水注入を行っていれば、水素爆発を防げた可能性が大きい。

当時の発電所所長の吉田昌郎氏は、本社に対し海水注入の許可を求めたが、本社がなかなか結論を出さず、時間切れになったとの報道がある。
真相は未だに不明であるが、東電本社が海水注入を躊躇した理由はよく分かる。
海水を入れれば、1基1000億円もする原子炉は使い物にならない。
合計4000億円の資産を捨てる決意を誰が出来るというのであろうか。
経営者といえども、東電の社長はサラリーマン(というより公務員)のようなものである。
そんな決断など、出来るはずがなかったのである。

緊急時には電力会社から全権限を強制的に剥奪し、内閣総理大臣が全権限を有するという「有事立法」がこの国にはない。
それが水素爆発を未然に防げなかった大きな要因である。


 


原子力規制委員会は、原発の再稼働を一切認めない方針を決めているのでしょうか。
同じ政府機関として、原子力安全保安院とは180度異なる姿勢に転じた理由を知りたいと思います。
次回「第39回:廃炉か再稼働か」で、この問題を論じてみようと思います。

↓ 同委員会のHPより引用