第31回:最近のトピックスを解説
2012.02.23
2月15日、原子力安全委員会の班目委員長が福島第一原発の事故に関して国会で発言しました。
安全審査指針に瑕疵(かし)があったとか、津波に対する備えが甘かったとか、長時間の全電源喪失は「考えなくてもよい」としたことなどをお詫びする、といった内容でした。
これって、懺悔(ざんげ)?
どうにも釈然としない気持ちだけが残りました。
そう言えば・・、全く別のあることを思い出しました。
『M7級の首都圏直下型地震が今後4年以内に約70%の確率で発生する』
という東大地震研究所の試算を基にした新聞各紙の報道です。
この報道は1月23日付けの読売新聞がきっかけです。
そこには
「地震活発 切迫度増す」
とありました。
その後に各紙が一斉に記事を掲載し、TVのワイドショーが「わーっ」とばかり追随しました。
それから1ヶ月弱ですが、あっという間に報道は沈静化しました。
これはいったい?
当の東大地震研の大木聖子助教(助教授の間違いではありません。「助教」が正式名です)の言葉を借ります。
「日本中どこでもM7級の地震は起こり得ます。
今日起きてもおかしくありません。
しかも、震災以降、特に首都圏の切迫性が高まっていることは誰もが認めています。
本来、『切迫度が増した』と報道するなら、どういう対策を取ればいいかも報じるべきではないでしょうか。」
東京に地震が起きる可能性が高いことは誰もが知っています。
それを「切迫度増す」という言葉でパニックを煽(あお)ろうとマスコミは画策したのです。
そもそも、東大地震研のこの試算は昨年の9月に発表されたものです。
それをつい最近の発表のように新聞は書いたわけです。
地震研が当日あるいは前日に発表したわけではないのです。
東大地震研は、その後2月6日に「70%ではなく50%以下でした」と試算の内容を訂正しました。
大木助教の前述の発言と東大地震研の訂正発表の後、マスコミは沈黙を決め込んでいます。笑い話のような話です。
マスコミは、必要な情報や国民が安心できる現実は伝えず、試算内容の検証もせず、「東大」の権威を利用し、おどろおどろしい数字だけを垂れ流し、不安のみを煽ったのです。
ジャーナリズム研究の第一人者である桂敬一立正大学元教授(日本新聞協会研究所所長などを歴任)は
「ジャーナリズムの質が劣化している」と、以下のように警鐘を鳴らしています。
「学者はあらゆる事態を想定した上で数値を弾き出す。
その数値は様々な文脈の中から出てきたものなのに、全体を伝えず、一部を切り取って事実を増幅するやり方は、読者や視聴者から理性を奪う非常に危険な報道です。
記者の無知と、ジャーナリズムの責任に対する無自覚が原因ではないか。」
原発事故報道も全く同じです。
原子力や放射線の知識も経験もない記者が
「基準の○○万倍の汚染」
とか
「汚染水を○万トン垂れ流した」
という“おどろおどろしい数字”だけを報じ、国民のパニックを煽る。
もっと知識のない国民は、ただただ不安に陥りパニック行動を起こす。
次に、それを見た週刊誌が全くのデマを書き散らす。
欧米の環境団体が「これはいいチャンス」とばかり
「日本は壊滅した」
「世界も危ない」
と海の向こうから煽りたてる。
これらのデマを新聞各紙は「自虐ネタ」として掲載するという負の連鎖です。
我々は原発賛否に関わらず、まずメディアを疑う目を持たねばならないことを痛感します。
事務局が力んで長々と前文を書いてしまいました。
申し訳ありません。
ここらで、特別講師に席を譲ります。
2月20日、福島第1原発の現況が報道陣に公開されました。
その新聞記事の一文は、
「事故から1年近くたった今も実態は収束とは程遠いことが明らかになった。」
手紙の「時候の挨拶」みたいだな、と思いました。
今回は、最近の様々なトピックスを解説していきます。
【食品規制値の新基準を4月から適用】
厚労省が提起したこの新基準に対し、文部科学省の放射線審議会は2月26日にやっと答申を出したが、
「食品の放射性セシウムの濃度は十分に低く、(新基準値が)放射線防護の効果を高める手段にはなりにくい。」
と、異例の批判的な意見書を添えた。
審議会の会長である丹羽太貫・京都大学名誉教授も、
「放射線防護と食品基準の考え方があまりにも違う。」
と苦言を呈したが、この新基準の制定根拠が問題なのである。
新基準値案は、市場に流通する食品の5割が放射性物質で汚染されていると仮定している。
ところがモニタリング検査(昨年の10~11月時点)では、暫定規制値を超える食品は全体の0.5%である。福島県内でさえも1.8%である。
それがなぜ50%になってしまうのか。
これが第一の疑問である。
次に、全ての年齢区分の限度値の中で最も厳しい値を採用している点が疑問である。
国際的にもこの基準を採用している国は無いと聞く。
そこまで厳しくする根拠が乏しい。
その中でもさらに厳しい数値が採用されている乳児用食品や牛乳については、審議会の意見書にも
「一般食品と区別し、50ベクレルを設ける根拠はない。」
という趣旨の文言が付けられた。
そもそも新基準値を摘要したからといって、被曝線量が劇的に低減されるというわけではない。
従来通りの暫定規制値での被ばく線量の推計値は、中央値濃度の場合で0.051mSv/年である。
それが、新基準値にすると0.043mSv/年となる。
つまり、0.008mSv/年の低減にしかならないのである。
当の厚労省放射性物質対策部会の報告書に、そう書いてある。
実態にそぐわない基準強化にコストや手間を掛ける意味はあるのか。
はっきり言って、今回の新基準値は小宮山厚労大臣のスタンドプレーである。
小宮山大臣は、厚労省の薬事・食品衛生審議会が開始される前の昨年10月28日に、
「2012年4月を目処に許容線量を年間1mSvに引き下げることを基本として進めて行く。」
と先走って結論を示していた。
その上、放射線審議会の答申を待たずに、リスクコミュニケーションを実施していた。
このような場に参加する人は、大半が市民運動などを推進している方々である。
当然のごとく、会場は「もっと厳しい値に・・」という声に埋め尽くされる。
このような方たちは、以下のように考えるのである。
「現在の規制値が500で新基準値が100ということは、今はその間の『汚染された』食品を食べさせられている。新基準値の100だって怪しいものだ。」
基準値を下げれば「過去の暫定規制値は『危険』だったんだ」と解釈する。
さらに、新基準値を少しでも超えれば「即危険」と判断する。
かつ、新基準値すら危険だと思う。
要するに新基準値案は、「ゼロ」にならない限り安心をしない「消費者の過剰な不安」を助長するだけなのである。
この気運の高まりは福島の農業に壊滅的な打撃を与えかねない。
一方で「福島の復興に絆を・・」と叫びながら、一方で福島に大打撃を与える。
この身勝手さが市民感覚?
この大問題を、小宮山大臣はたった3回の審議でまとめさせ、4月の実施を強行に主張する。
民主党はこれを「政治主導」と胸を張るのであろうか。
【除染作業の工程表の完全実施は、不可能?】
環境省が1月26日に発表した除染作業の工程表だが、完全実施は不可能と判断せざるを得ない。
工程表では、今春以降に順次、本格的に除染作業に着手、2014年3月末の完了を目指すとなっている。
詳細は前号の「土地の除染は出来るのか」を読んで欲しいのですが、要約すれば、
「原発から半径20キロメートル以内の立ち入り禁止区域(警戒区域)は国が直接作業を行なう。
それ以外は国が予算を負担して各自治体が行なう。」
となっている。
一連の除染作業は、すでに民間業者が請け負う形で作業が進められている。
大半が、大手ゼネコンが元請けで、全国の中小建設会社が下請けとして実際の作業を行っている。
だが、費用がどこまで膨らむのか、誰も見当がついていないのである。
前号で私は13~15兆円と試算したが、実際に作業している会社の社長は、それすら「甘い」と言う。
その人は「まともにやったら数十兆円は確実」だと言う。
業界は「除染バブル」に沸いている。
だが財務省幹部は、
「青天井でそんな費用は認めない。
国が全額負担する以上、予算の制約があるのが当然だ。
除染作業はその範囲内でしか行なわない。」
と言う。
私が「除染作業の完全実施は不可能」という一番の根拠は、「予算がない」ということである。
さらに、場所によっては作業員の被曝の問題があり、充分な数の作業員の確保が難しいという現実がある。
割増し賃金目当てに今は募集できても、予算の制約で単価の頭打ちになれば、作業員も集まらなくなる。
「除染バブル」は幻に終わりそうである。
そもそも微量放射線の影響については様々な意見があるが、
年10~20ミリシーベルト程度で健康被害が出ることは「無い」と断言してよい。
この工程表のような無意味な除染を行なうのは「安心」の名による税金の浪費である。
その費用は東電に請求されるとしても、最終的に電力利用者に転嫁されるか、納税者の負担となる。
ある人が、この除染を指して「科学的根拠のない霊感商法」と言った。
これは言い過ぎかもしれないが、このような「除染バブル」で税金を浪費する余裕は今の日本にはないはずである。
この費用は、津波の被災地の救援に回すべきと考える。
【南相馬市の内部被曝の調査結果】
少し古い記事になるが、福島県南相馬市立総合病院の坪倉正治医師らが行った「高校生以上の市民の内部被曝線量調査」の結果が発表された。
この発表によると、検出限界以下となった人が昨年9~12月の3カ月間で約1.6倍に増えていた。
また、大半の人が年間1ミリシーベルトを下回っていた。
調査は昨年7月11日から行われ、南相馬市民や一部伊達市民など計約1万人を対象に、内部被ばくを測定する「ホールボディーカウンター」を使い、原発事故で放出されたセシウム137の被ばく線量を測定した。
今回は、昨年9月26日~12月27日までに測定した高校生以上の南相馬市民4745人分の詳細な解析結果を発表した。
その結果、内部被曝線量が測定器の検出限界(1人あたり約250ベクレル)を下回った人は2802人で全体の59.1%。体重1kgあたり20ベクレル以上の人は169人(3.6%)、同50ベクレル以上は16人(0.34%)であった。
この調査結果から、事故後の空気、水、食物などによる内部被曝は、当初懸念されたほど大きいものではなかったことが分かる。
体内に取り込まれた放射性物質は徐々に排出され、大人では3~4カ月で半減するという「生物学的半減期」が裏付けられたことになる。
この結果から、南馬市の市民が事故後の数日間で一度に被曝したと仮定すると、年間1ミリシーベルト以上になる人は1人ということになる。
しかも線量は時間の経過と共に低下していくので、超過は一人も出ない確率のほうが高いといえる。
他地域の調査結果は出ていないが、大差ないものと思われる。
【関東の一部で放射線量が一時上昇】
関東地方の一部で、1月23日の夜、大気中の放射線量が一時的に上昇した。
専門家によると、福島第一原発によるものではなく、自然界の放射性物質が深夜の降雪で地上に落ちたものとみられる。
東京都や埼玉県の調査によると、計測された放射線量は、健康に影響しない数値だが、いずれも通常より2~3倍高かったということである。
名古屋大学・山澤弘実教授(エネルギー環境工学)によると、
「自然界のラドンが別の放射性物質に変化し、雪や雨に乗って降下した。」
ということである。
また、偏西風で大陸から運ばれたラドンの影響も考えられるという。
このような例は今までもあったが、関心を呼ぶことはなかった。
原発事故以来、全てが過剰反応して些細なことでも報道に載るようになった、ということである。
【ラジウム温泉について】
ラジウム温泉のラジウムは、もちろん放射性物質である。
東京都世田谷区の民家の床下やスーパーの敷地内に長い年月放置され、最近見つかったのと同じラジウムである。
方や「健康によい、病気が治る」と多くの人が押し掛け、
方や「危ない!」とばかり大騒ぎする。
奇妙なことだと思うのだが。
日本で有名なラジウム温泉といえば、山梨県の増富温泉、鳥取県の三朝温泉、岩盤浴の玉川温泉(今冬、雪崩で犠牲者が出た秋田の温泉です)などがある。
その中でも、玉川温泉は古くから「難病を治す」と評判で、実際の治癒例も多いという。
昭和の初めに、東北大学や岩手大学、弘前大学などが、この温泉を盛んに研究していた。
今では、「玉川温泉研究会」が発足するほどで、多くの学者によって数々の詳細な臨床的研究が行われ、医学的効果は学術的にも立証されている。
鳥取の三朝温泉も日本を代表するラジウム温泉である。
岡山大学医学部の御舩教授のグループは37年間もの統計を取って研究を進め、三朝地域のガン死亡率は全国平均の2分の1であると発表している。
このようなラジウム温泉のある地域では、温泉や土壌、岩盤から発生するラドンや微量の放射線が、人間の肉体が本来持っている自然治癒力を刺激・活性化すると言われている。
この微量の放射線が人間の自然治癒力を刺激・活性化する効果は「ホルミシス効果」の実証例といえる。
だが、学者の中には「ラジウム温泉は危険だから行くべきではない」と主張する人たちもいるようである。
でも、そのような先生が、ラジウム温泉で健康を害した臨床例を示したことにお目にかかったことがない。
ただ危険を主張するだけでは「風評」と何の違いもない。
我々は、事実となったことだけを見て判断したいものである。
勿論、放射線にホルミシス効果があるといっても、多くの放射線を急激に浴びた場合は非常に危険である。
微量の放射線を、時間をかけてゆっくりと利用することで、生命体の持つ自然の力を呼び覚ましてくれるのである。
この浴びる放射線量の限界点を「しきい値」と呼ぶ。
国際放射線防護委員会(ICRP)は、公式には「しきい値」の存在を認めず「しきい値なしの直線仮説」を採っているが、委員会の討議では、しきい値を認める意見がかなりあると聞く。
臨床例が増えていけば、公式に認める日も来るかもしれない。
ただし、この「しきい値」は人によって差があるのは事実である。
私も自分のことや様々な臨床例から、この差は実感している。
ごく微量の放射線を日常的に取り入れることは健康に有用と思う。
適度な日光浴や温泉は、健康や若さのためにとても良いことである。
【エピローグ】
私は、原発推進派でも、反原発派でもありません。
原発推進派に見えるとしたら、「科学技術を正しく理解し、人類の発展に使っていこう」派だからだと思います。
原子力は、電気力や重力と同じ自然の力です。
それを学問として探求していくのが原子物理学で、科学技術として利用する道を探求していくのが原子力工学です。
ただ、科学技術の利用に際して心しておかなければならないことがあります。
それは、常に危険が伴うということです。
科学に限らず、およそ危険を伴わない技術というものはありません。
野球やサッカーといったスポーツ技術でも、高度になればなるほど危険は増します。
時速50kmの野球のボールが当っても「痛い!」で済むでしょうが、150kmのボールになれば命の危険すらあります。
時速20km程度のスキーで転んでも死ぬ危険はまずありませんが、200kmに達しての転倒は、プロといえども命取りになります。
だから、専門家による綿密なトレーニング計画や指導が必須であり、危険を察知したら、試合の中止や参加を止めさせる。
小さな障害でもそれが完治するまで休養を取らせる。
そういったきめ細かな管理をしているのです。
こんな話は「分かっている!」とお叱りを受けると思います。
そして、
「原発が爆発すれば取り返しがつかない災害になることが、福島で実証されたではないか。
だから、原発は全部捨てるべきなんだ。」
と反原発派の方々は主張するでしょう。
では、飛行機や鉄道はどうでしょうか。
飛行機の墜落や鉄道の衝突で多くの人命が失われることは何度も実証されています。
それでも、それらを捨て去ることをしませんでした。
「原子力の利用も、これらの技術と同じではないのか。」
という問いに対して、反原発派の知人はこう言いました。
「それでも、せいぜい数百人だろう。原発が爆発したら数十万人が死ぬんだ!」
「ちょっと待ってくれ、そんな事故の例は一度もないだろう。
チェルノブイリの詳細は不明だが、スリーマイル島や福島第一原発の事故による死者は出ていない。
住民の健康被害も出ていないよ。」
「でも、数十万人が死ぬ事故がいつかは起きるんだ。」と知人。
「それは原爆の爆発のことだよ。君は、原発事故は原爆の爆発と同じと言うのか。」と私。
彼は、だんだん激してきて「そうだ、原発は原爆なんだ。」と言い出しました。
ここで、私は対話を諦めました。
飛行機事故などの犠牲者を「せいぜい数百人だろう」と言った彼の言葉に寒気がしたからです。
後は、読者のみなさんがご判断してください。
班目委員長の懺悔(ざんげ?)を聞いて、この方が、まだ原子力行政の要(かなめ)の役におられることに少々驚きました。
そして、今回の事故は、このように硬直した原子力行政の人事にあることに気付きました。
大阪の橋下市長の主張を聞かなくても、この国の中枢の政治・行政機構が、腐り果てていることは分かります。
消費税増税は仕方ないと思いつつ、賛成できないのは、増税に対してではなく、野田総理をはじめとする国家の中枢にいる与野党の政治家および官僚機構に対する不信なのです。
原発問題がその延長線上で処理されていくことを危惧しています。
次回も、いろいろなトピックスを取り上げて解説します。