第30回:土地の除染は出来るのか

2012.02.03


誤解を恐れずに言うと、放射線に対する恐怖は実態のない恐怖と言えます。
ほとんどの人は、放射線による健康障害という症例を経験したことはもちろん、目にしたことは無いと思います。
その類の情報は世の中に多いのですが、いわゆる「巷(ちまた)のうわさ」の域を出ません。
今回の事故でも、「すでに死者が出ている」とか「ガンが急増している」とかのうわさ話が聞こえてきます。
しかし、この手の話は「幽霊が出た」程度の話と思ったほうがよいようです。

今回のような事態になると、どうしても恐怖を煽(あお)る話のほうが強く印象付けられ、人々の間に広まっていきます。
まして、広島・長崎の悲劇があります。
「放射能=原爆=死」というイメージは、強烈なインパクトを持って今に伝えられています。
それゆえ、原子力発電所の建設では、「原発は100%安全」の間違ったイメージ(安全神話)を前面に押し出した推進を行ってしまったのです。
前者も後者も誤った概念なのですが、実際に原発事故が起こった今、前者のイメージのほうが力を持ってしまいました。
それでは、放射線の恐さの実態について、引き続き特別講師に解説してもらいます。


放射線による障害の症例ではっきりしているのは、広島・長崎の原爆、ビキニ環礁における第五福竜丸の被曝、1999年のJCO臨界事故、そしてチェルノブイリです。
他は、因果関係がはっきりせず、風評のレベルとしか言えません。
私が福島第一原発で働いていた時も、都市伝説のような話はいろいろ聞きました。
しかし、事実が確認できたことは一度もありませんでした。

たしかに、深夜、たった一人で広い原子炉建屋内にいると、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の声が聞こえ、気配を感ずる錯覚に襲われます。
作業員たちの「死んだ者の怨霊が・・」のうわさ話も生まれるわけです。
圧力容器内に降りた時などは、自分の体を貫く無数の放射線が見えるかのような錯覚にとらわれ、「早く出なきゃ」と焦りもしました。
風評を生む素地は十分すぎるくらいあるわけです。
そんな前提で今回もお読みください。


【放射線騒動とマスコミ報道】

1月15日に福島県二本松市内の新築マンションから放射線が検出された。
基礎のコンクリートに使われた採石が発生源と言われている。
報道によると、内閣府原子力災害対策本部と二本松市が「1階の住民に転居を勧めている」ということである。
では、どのくらいの放射線量なのかと言うと、最大で毎時1.24マイクロシーベルトだという。
年間だと約10ミリシーベルトである。
この程度の被曝ではなんの問題もない。
しかも、この値は24時間×365日その場所に居続けた場合の最大線量である。

実際にはそんなことはないし、「ただちに」も「将来」も健康に影響はない。から騒ぎと断定してもよいのだが、センセーショナルに報道されれば、住民の方々は恐怖に襲われる。

内閣府原子力災害対策本部も、「避難が必要な値以下で、直ちに健康を害するものではない」と言いながら、市は1階住民に避難を勧めるという“ちぐはぐ”な対応に終始する。この無責任な行政の対応が、よけいに不安を掻き立てるのである。

行政のこのような対応を見て、マスコミは以下のように報道する。
「原発事故後、新築住宅の汚染判明で住民移転が迫られるのは初とみられる」
「住民の健康に影響はない・・」とは言わないのである。


【感情論と付き合う難しさ】

前述の二本松市の新築マンションの放射線騒動のような報道では、必ず(?)、以下のような「住民の意見」が掲載される。
現場のマンションは、12世帯中10世帯が震災で転居してきた被災者。

60代の女性は、
「小中学生の孫が一緒にいるので心配。除染してもらいたいが、できなければ転居もやむを得ない。避難先を転々として、やっと落ち着いたところだったのに」とこぼした。

浪江町から移ってきた女性(32)は、
1歳と4歳の子供を抱え、「正月明けに突然、市の職員が来て室内を測っていった。私は上層階だが、一部でも高ければ不安」と表情を曇らせた。

前述したように、この程度の線量で心配は無用なのだが、「放射線」の言葉だけで住民の方の感情が反応してしまう。
このような感情論は「意味なし」と言いたいが、不安を抱える感情そのものを否定は出来ない。この感情は心の中に自然に生ずるものだからである。
目に見えないゆえに放射線に恐怖を感じる、食べ物への影響や生活が脅かされることに不安を感じる。

こうした感情は、人間が持っている生存本能から来ている。
年金や増税、さらには長引く不況に不安を抱くといった不安と同じ本能的な反応なのである。
それゆえ、「たかが感情論」と切り捨てられない難しさがある。

このような不安を取り除く有効な手段は「専門家の意見」なのだが、肝心の専門家の意見が全く正反対に分かれてしまっている。
中には「どんな少量でも放射線は危険」と主張する先生もいる。
残念なことに、このようなアジテーションに近い意見のほうが、マスコミに取り上げられ、市民権を得てしまう傾向にある。
かくして、感情論は増幅される一方となってしまうのである。


【中学生の測定の精度】

この二本松市のマンションは、1階に住む女子中学生が個人線量計で測定していて、累積被ばく線量が高いと市へ届け出て、報道となった。
女子中学生の計測結果は、3ヶ月間で1.62ミリシーベルトということである。
市の調査結果を3ヶ月に換算すると、最大で約2.68ミリシーベルトとなる。
計測した場所によって数値は結構変わるので、この中学生の測定精度は「まあまあ」というところである。

しかし、中学生までが線量計を持って放射線量を測るという世の中に、唖然とする。
その情熱で、放射線に関する知識を、狭くではなく幅広く勉強してください、としか言えない。


【環境省が地域の除染工程表を発表】

環境省は、福島第一原発周辺で国が直接行う除染作業を2012年7月に開始するという工程表を発表した。
国が直轄で除染を行う地域は、大熊町や双葉町など「除染特別地域」に指定した11の市町村となっている。
この工程表の詳細は、新聞やNetから入手できるので省くとして、その骨子だけを以下に述べる。


(1)平常時の基準である「年間1ミリシーベルト以下」まで除染することは短期間では不可能。特に50ミリシーベルトを超える「帰還困難区域」は、期間の目処すらつかない。

(2)現在、年間10~20ミリシーベルトの「避難指示解除準備区域」では、7月から作業を開始して、2年後に半減(5~10ミリシーベルト)を目指す。
(筆者:除染しなくても、自然にそのくらいまで落ちてしまうと思うのだが・・)

(3)現在、年間20~50ミリシーベルトの「居住制限区域」では、10月以降、作業を開始するが、帰宅可能になる期間の目処は立っていない。

つまり、「除染は7月から開始するが、効果のほどは保証できない」という意味である。


【そもそも除染は可能なのか?】

大半のマスコミは「除染をやれ!」と政府を叱咤する。
それを受けてか、国は国の責任で除染するための法律を整備する方針を出した。
福島県内に専門の除染チームを置くとも伝えられる。
しかし、専門家である学者先生で除染推進を積極的に支持する先生は意外なほど少数である(と、私は感じているが)。

たしかに、都市部では土を剥いだり、建物や道路などの洗浄を行えば、ある程度放射性物質の除去を行うことは可能だろう。
よく「ホットスポット」として話題になる箇所も、その部分だけ水やごみなどを除去すれば線量を低減できる。
都市部における除染は一定の効果が期待できよう。

しかし、農山村ではそうはいかない。
NPO団体などが実験的に民家の除染を行ったが、効果は薄かったと聞く。家屋ですらそうなら農地や山林は絶望的である。
一部で言われている「ヒマワリやナタネにセシウムを吸着させる」にしても、限定的な効果しかないことが実証されている。
山野や農地の除染は、技術的に不可能とは言えないが、現実的には「不可能」と思ったほうがよさそうである。

後で述べるが、除染せずに放っておいても自然に放射能値は下がる。
効果の薄い除染などするより時間の経過を待ったほうが賢明なのではないか。
除染の費用を避難されている方の生活再建に充てるべきだと思う。
私は、都市部においても、この程度なら除染は不要と思っているが。


【除染の費用はどのくらいかかるのか?】

除染費用の算出は様々な要素が絡むので簡単ではない。
農水省によると、過去のカドミウム汚染水田などの「公害防除土地改良事業」では、天地返し(上層土と下層土の入れ替え)と呼ばれる方法で除染を行っている。公害史の専門家である國學院大学の菅井益郎教授によれば、この天地返しの費用は、10アール(1反)あたり平均300万円ということである。

文科省が公表した汚染地図(右図)から除染対象の面積を算出すると、農地は1万5000ヘクタール、山林や原野は8~9万ヘクタールに及ぶ。
平均300万円/10アールを当てはめると、農地だけで4500億円の費用となる。
しかも今回は、カドミウム汚染ではなく放射能汚染である。
作業の難しさを考えると、費用は2~3倍に膨れ上がると推定される。

その上、山野が8~9万ヘクタールもある。
森林の除染は農地のようにはいかない。
セシウムは葉や樹皮に吸着されるし、積もった落葉に染み込む。
その下の土壌も汚染される。
除染するには樹木を皆伐し、地表を厚く削り取るしか方法はない。
費用は農地の5~6倍はかかるのではないか。
また、伐採した樹木や削り取った土の処理をどうするのか。
これらを含めた概算で、全体費用は13~15兆円になる。
そんなカネがどこにあるのか・・・


【除染にかかる年数は?】

カネの問題だけでなく、作業員の確保などを考えると、除染は20~30年でも終わらないのではないかと思う。
汚染土壌の処分法や処分地さえ決まっていない現実では、準備期間だけで数年はかかるであろう。

避難されている住民の方々の苦悩を考えると申し訳ないが、地域によっては絶望と思える期間が必要である。
こうした問題に答えないまま、国は除染の方針だけを示した。
それでは無責任である。

汚染度別に避難期間を示し、避難が長期に及ぶ地域に関してはいったん国が買い上げ、代替地を用意すべきではないか。
そして、新しい土地での生活や仕事の再建の道すじを示すべきだ。
故郷を奪われた方々にはつらい選択であるが、ずるずると仮住まいの生活を引き延ばしては、生活再建への意欲も気構えも失くしてしまうのではないか。



【果たして人が住めるようになるのか?】

ところで、汚染地域は除染すれば住めるようになるのであろうか。
今でも毎時10~30マイクロシーベルトを超えるような地域がある。
50マイクロシーベルトを超えるような場所もあると聞く。
屋外で毎日8時間を過ごすと年間146ミリシーベルトの外部被曝を受ける線量である。
それでも、確実に健康を害するというわけではないが、危険が無いとも言いにくい地区である。

もう少し学術的な話をしよう。
事故から10カ月以上が経った現在、ヨウ素などの短寿命核種はほぼ消失しているから問題はない。
今後はセシウム134(半減期約2年)とセシウム137(同約30年)が問題になる。今回放出された両者の放射能比はほぼ1対1と言われている。
線量率への寄与度は、セシウム134は137の約2倍である。
ここから、134の放射能が半減する2年後には、線量率は3分の2になる。

つまり、除染せずに放っておいても、最低このくらいは落ちるのである。
さらに雨や風で流されたり飛んでいったりもするし、地下へも浸透する。
これらの効果を合わせると、2年もすると半減以下になるとの予測もある。
現在、毎時10マイクロシーベルトでも5マイクロシーベルト以下に、「除染せず」に落ちるのである。

また30年後には、セシウム134の放射能はほぼゼロになり、137の放射能も半減する。
全体では1/6~1/7になると思われる。
さらに雨による流出や地下への沈降があるので、1/10~1/20に減少する可能性が高い。

つまり、現在毎時10マイクロシーベルトの場所は毎時1マイクロシーベルト以下になる。
1日8時間屋外にいるとして、年間では3ミリシーベルトとなる。
ICRP基準の「通常時1ミリシーベルト」を超えるが健康被害は出ないとみてよい。

毎時50マイクロシーベルトの場所は、年間15ミリシーベルトとなる。
これを帰還出来る値と考えるか、出来ないと考えるかは、個人の自由としか言いようがない。
私のように過去にかなりの被曝を経験した者ならば、即「大丈夫」と言い切るであろう。
しかし、僅かな被曝でも恐れる者は、「絶対住まない」となるであろう。
どちらが正解という問題ではないし、非難し合うことでもない。
政府は個人の自由に任せたほうがよいと思う。



【放射線の危険性】

本コーナーで何度も書いたが、放射線による急性障害に関しては、しきい値(これ以下では症状が出ないという限界値)がある。
年齢や性別などによって異なるが、100ミリシーベルト以下では障害の症状は出ないとされている。
ICRP(国際放射線防護委員会)の基準値であるが、100ミリシーベルトを超えても必ず影響が出るわけではない。
個人差もあるが、250ミリシーベルトくらいまでは顕著な臨床例は出ていないとされる。
また、4000ミリシーベルトという確実に症状が出るほどの被曝でも、死に至る率は低い。

しかし、ICRPでは、低量放射線を浴び続けることが積み重なって生じる晩発性障害については「しきい値がない」とする見解(いわゆるLNT仮説)を取っている。放射線で遺伝子が傷つき、被曝量に比例して将来癌や白血病、遺伝的障害が生じるおそれがあるとしている。
これを「甘い」として、被曝量ゼロを目指すべきとする声がある一方、ホルミシス効果によって、低レベルの被曝はかえって体に良いとする声がある。


「ICRPは甘い」とする急先鋒はECRP(欧州放射線リスク委員会)という欧州の団体である。この団体は「欧州」と名前が付いているが、全くの民間団体で、ドイツの緑の党が発足させたものである。

このような意見に賛同する人は、
「線量率が1マイクロシーベルト/hであっても、その土地に1年間居続ければ8760マイクロシーベルト=8.76ミリシーベルトも浴びる。
これは十分に危険な被曝量だ」と主張する。実際の臨床例は無いと思うが、危険を主張する人は「それは、情報を隠しているからだ」と譲らない。
こうなると議論にはならない。

たしかに、原子力安全・保安院などがよく言っていた
「被曝量はX線検査1回分程度」という「安心感のばらまき」は感心しない。
汚染地区に住むことによって受ける定常的被曝と一過性被曝であるX線検査の比較は意味がないからだ。
だが、X線技師は、それが仕事ゆえ年間被曝量はかなりの量になる。
それでも「X線技師にガン多発」という声は聞かれない。
病院で知り合ったX線技師にそんな話をしたら、笑い飛ばされた。

実は、ICRPは「LNT仮説は過大」と認めているが、基準を安全サイドに置くことを重視してこの仮説を採用している。
ICRP内にはラッキー博士のホルミシス論を認める声もあるが、勧告に反映させるには至っていない。

世田谷区の民家の床下から1時間あたり660マイクロシーベルトの放射線を出しているラジウムが見つかったが、その家にずっと住んでいた90歳過ぎのおばあちゃんはピンピンしていた。
このおばあちゃんは、30年間は放射線を浴び続けていた計算になる。
想像を絶する被曝量であるが、おばあちゃんは長寿である。


【広島との比較の無意味さ】

以前、原子力安全保安院は、
「福島第一原発の事故で、15,000テラベクレルのセシウムが放出された。
それは広島型原爆の168個分に当る」との声明を出した。
安易にこのような比較をした保安院は論外であるが、今回の事故を広島・長崎に結び付ける論調は多い。
「原発=原爆」というフレーズで原発反対を主張する団体はあるし、「福島の事故は核爆発だ」と公言する学者先生までいる。

たしかに、広島原爆でのセシウム137の残留値は89テラベクレルと言われているので、福島の放出量は168.5倍になる。

なぜか。

それは、核爆発のほうが生成される放射性物質の量が少ないからなのである。
核爆発の場合、同時に生ずる超高圧(広島の場合90万気圧)・超高温(同じく10万度)によって、核反応によって出来た放射性物質は燃焼され尽くされてしまう。さらに燃え残ったカス(つまり、死の灰)は、急激な上昇気流(キノコ雲)によって成層圏まで運ばれ、偏西風によってはるか遠くに拡散されてしまった。
結果として爆心地を除けば、放射性物質は少なかったのである。

日本人であれば、ほとんどの人は、広島・長崎のむごたらしい被害者の写真を何度も見てきたであろう。
真っ黒に焼け焦げた死体、醜く背中や顔に広がったケロイド、無数のガラス片が突き刺さった人、手の指から皮膚を垂らした人。
原爆の恐ろしさは、しっかり記憶に刻み込まれていると思う。

だが、冷静になって考えれば分かることだが、あの人たちは放射線によってあのようになったわけではない。
広島・長崎の死者や重症者は、熱線、爆風、そして半減期の短い放射性物質による強力な放射線によって犠牲になったのである。

半減期がある程度長いセシウムによって死んだ人はいないのではないかと思う。
半減期が30年と長いセシウム137は、人体に入っても、その半分は100日で体外に排出されてしまう(これを「生物半減期」という)。

例外は妊娠している女性である。
セシウム137は胎児の体内に入り遺伝子障害を引き起こす。
これだけは最大限の注意を払うべきである。
だが、放射線を浴びた女性が、その後に妊娠しても、胎児にはなんの影響も出ない。
これを混同して、福島の女子高生が、「被曝したから、将来子供が産めなくなった」と、原発反対集会で訴えている姿をTVの画面で見た。
そんなことは無いのである。
それを教えてやらずに、反対運動に利用するのはいかがなものであろうか。


【今の原発で働く作業員たちは大丈夫なのか?】

福島第1原発の現場では、今も多くの作業員が目に見えない放射線の中で作業している。
そんな作業員の一人を追った、産経新聞東北総局の荒船清太氏のレポートを以下に転載する。


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原発から少し離れた、空間放射線量の比較的低い場所でも作業は続いている。
低いとはいえ、単位は普段報道されるマイクロシーベルトではなく、1000倍「ミリ」。
膨大な量が出ると見込まれる汚染水の保存タンクの製造だ。

「冬になってだいぶ楽になった」。
民宿でそう話すのは、夏から現場に入っているベテランの作業員(46歳)。
汚染水関連の作業では、防護服に加えてさらに雨がっぱを羽織る。
「破れたら作業中断で面倒だけど、夏は暑くて歩くのすら大変だったから」と笑う。

半年前。東京都にある会社で、原発での作業に従事する社員を募集したところ、手を挙げた者はゼロだった。
「俺が行くしかないか……」。
放射能への漠然とした恐怖より、責任感が上回った。
「原発に行くかもしれない」
妻にそう打ち明けると、「あんたが行かないって言ったら、どうなるの」と聞かれた。
「会社をやめるしかない」と応じたら、妻は「じゃ、行くしかないじゃない」と言った。
「あれで吹っ切れた」ベテランは今もそう感謝している。

作業員の拠点・Jヴィレッジから毎日出ている無料の東京往復のバスで、毎週末、自宅に帰る。
日曜の午後4時からバスの出る7時までの3時間が、妻と中学2年の一人娘(14歳)との束の間の団欒だ。
レストランでの少し贅沢な外食が、今は定番になった。
作業員の間ではおしゃべりとして知られるベテランだが、家に帰れば聞き役に徹する父親だ。
「友達に、お父さんが原発で働いてるって言ったら『かっこいいね』って言われたよ」。
娘の話に目を細める。
「家に帰るのが前より楽しくなった」と話すベテラン。
「こんなに人のため世のためになれる仕事はない。鼻が高い。ずっと続けたい」。
放射能におびえた半年前が随分昔に思えた。

※SAPIO 2012年2月1・8日号より転載
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原文のまま転載した。
30年以上も前の私の姿がダブって見えた。
その頃の私に子供はいなかったが、「子供が出来たら心配だな」と思っていた。
放射線に対する知識は豊富に持っていた私であったが、原発に行く時は不安が大きかった。
このレポートの人と全く同じ心境だった。
そして、作業を続け、放射線を実際に浴び続けるうち、いつしか放射線に対するおびえが消えていったことも同じである。
日本人の多くが、見えないことで放射線の幻影におびえ、実際の臨床例もないのに集団ヒステリーを起こしているのである。


福島第一原発の現場では、何人かの作業員の方が亡くなっていますが、放射線障害ではありません。熱中症などが原因です。
特別講師が同原発で働いていた頃も、死者や重症者が出る事故があったそうです。でも、酸欠が原因だったり、墜落等の事故ということです。
放射線障害よりも、そういった事故を防ぐほうが大事なようです。

また、除染は効果が限定的なようですが、心理的安心感を与えることで行っている側面があります。
出来る限り多方面からの情報を得て、合理的な知識を持ちたいものです。