第24回:繁栄か滅亡か②
2011.08.03
前回は、水爆実験の恐ろしい画像の数々に、心臓を掴まれたかのような気分を味わったわい。
そういえば、ワシの若いころ、「米国が・・ソ連が・・」と日常茶飯事のように水爆実験のニュースが流れておったなあ。
「雨にあたると放射能で髪が抜けるぞ」と子供同士で言い合ってもいた。
あの頃は、大国が、無秩序に大気中で核実験を繰り返しておったのじゃ。
地表に降り注がれた放射性物質の量は、現在の数千~数万倍と言われておる。
とんでもない時代じゃったんじゃ。
さて今回は、その原水爆と違い、「平和利用」と言われた原子力発電の歴史を解説してもらう。
平和利用のどこが狂って、福島第一原発の事故につながったのか。
それとも、はなから「平和利用」は幻想であったのか。
そこが重要なポイントと思うのじゃが、原発推進派も反対派も、上記の検証にはとんと無頓着なようじゃな。
そのような報道をさっぱり見かけん。
それで、特別講師に解説をお願いしたんじゃ。
今年も8月がやってきましたが、福島の原発事故を受けて、例年とは違った動きが見られます。
それは、「原発=原水爆」という主張です。
勿論、言論の自由が保障されている日本では何でも言えます。
しかし、論証抜きのアジテーションには危険を感じます。
どうか、前回の解説と合わせ、今回、そして次回の解説をお読みいただいた上で、
「原発=原水爆」かどうかのご判断をいただきたいと願っています。
【原子力エネルギー】
前回、なぜ、あのような画像を掲載したのか。
不思議に(あるいは不快に)思われた方は多いと思います。
それは、あれが「原子力という力」の一つの側面だからです。
アインシュタインが相対性理論で解き明かした「質量・エネルギー等価式」によって導かれる、
「核エネルギーが一気に解放された姿」なのです。
ここで簡単な計算をしてみます。
広島に落とされた原爆(リトルボーイ)が放出したエネルギー量の計算です。
エネルギーを数値で理解出来る人以外、この数字を見てもピンとこないと思います。
ただ、「テラ」が大きな単位であることは分かると思います。
サーバコンピュータのディスク容量が、最近「テラ」単位になってきましたが、
あれと同じ単位です。
爆発は、爆心地の上空600mで起きました。
中心の温度は数百万度(太陽の表面5700℃)、直下の地表で4000℃とも言われています。(右の図)
広島を訪れた人は、ぜひ右の図の場所に立って、上記の数字を思い浮かべてください。
「62.8兆ジュール」というエネルギー値を少しは実感できるかもしれません。
わずか0.68gの質量がエネルギーに変わっただけで、
これだけの凄まじいエネルギーが発生し、街は完全に破壊され、12~14万人もの人が亡くなったのです。
これが、原子力エネルギーの一つの側面なのです。
「なんと恐ろしい。原子力などというものは、この世界から抹殺しろ」
「人類は、核と共存なぞ、出来るはずはない」
原発事故を受けて、このような声があちこちで上がっています。
広島・長崎の惨劇が、その背景にあるのは明らかですが、
運動をリードする組織は、この惨劇を使って「原発=原水爆」と主張しています。
しかし、冷静になって考えてみてください。
我々が生きる、この宇宙は、原子力によって創られ、維持されているのです。
太陽は勿論、天空に輝く無数の星々の輝きは核融合反応によるものです。
最近の研究では、我が地球の内部でも核反応が起きていると言われています。
これらは、原水爆と違い、ゆっくりと長期に渡ってエネルギーを放出し続ける、原子力のもう一つの側面なのです。
それでも、核(原子力)を一切無視しろと言えるのでしょうか。
「いや、自然の核はいいんだ。人間が扱うことに反対なんだ」
との反論があるでしょう。
なるほど・・・、でも考えてください。
人類が、やがて宇宙に乗り出していく時は、核エネルギーと無縁ではいられません。
原子力の手前で挫折していては、人類は大宇宙へと乗り出す資格のない生物となり、
滅びの道をたどるでしょう。
また、地上においても、化石燃料はやがて尽きます。
自然エネルギーは、理論上の限界を超えての供給は不可能です。
そう遠くない未来において、エネルギー不足は深刻な事態を迎えることは確実です。
最後の砦の核融合発電を実現することは、未来の人類への重い宿題と思うのです。
【それでも、原子力は恐ろしい!】
ですが、私は無条件の原子力推進派ではありません。
原発や放射線施設の設計や建設に携わっていた頃、確信していたことがあります。
「原子力利用は推進すべきだが、原子力行政および運営は、完全に方向を誤っている」とです。
ラスムッセンの確率的安全性評価(第12回を参照)を学んだ時も、
人間心理や自然現象を全く無視した単純な確率計算に違和感を強く覚えました。
原子力工学は「象牙の塔」の見本のような世界です。
著名な先生方の権威が大変に幅を利かせている世界です。
医学の世界とよく似ていると思います。
このような権威の前には、現場の声など、蚊の羽音にもならないのです。
そして、巨額なMoneyが動く世界でもあります。
安全も、命も、人の心もカネで買える世界です。
それに疑問を感じながら、異を唱えることが出来なかった私も、結局、その一員でした。
核エネルギーを解明したアインシュタインも、原爆の父と呼ばれるオッペンハイマー(マンハッタン計画の開発リーダー)も、そして水爆の父と呼ばれる旧ソ連のサハロフも、後に原水爆反対の立場に立ちました。
しかし、誤解しないでいただきたいのは、
原子力そのものを否定したわけではありません。
原水爆に対する反対だったのです。
一方、原発等の原子力開発に携わり、
その後、反原発運動に身を投じた研究者の方々もいらっしゃいます。
それはそれで信念を持った行動であり、非難されるべきではありません。
私は、現場技術者として、原子力開発の一端を担ってきました。
どんなに理論が分かり、知識があっても、
現場でかなりの放射線を浴びた時は、恐怖もあったし、将来の発症を恐れました。
その後、初めての子供が生まれた時は、その子の指の数を何度も何度も数え直しました。
「五本だな、五本だな」とです。
(もちろん、妻には分からないようにですが)
このように、原子力の持つ恐ろしい力を肌身で感じ、反対運動にと思ったこともあります。
しかし、それは感情論だと思い直しました。
賛成、反対の前に、もっと学び、もっと事実を知るべきだと考え直したのです。
そのようなことを前提に、今回の原発の歴史をご覧ください。
【世界初の原子力発電所】
前回、世界初の原子力発電は、1951年、米国アイダホ州アルコ近郊に建設された「EBR-I」だと説明したが、「EBR-I」は実験施設であり、発電所とは呼べないしろものであった。
事実上の世界初の原子力発電所は、旧ソ連の「オブニンスク発電所」である。
1951年9月に建設が開始され、1954年5月に臨界を達成、同年6月に世界初の原子力発電所が運転を開始した。
----------------------------------------------------------------------------
世界初の水爆、アイビーマイク(Ivy Mike)の実験が1952年11月である。
兵器開発に比べて平和利用の歩みはいつも遅い。
----------------------------------------------------------------------------
とはいえ、旧ソ連は、わずか3年足らずの間に、複雑に絡み合った設計、建設及び運転の理論・技術問題を解決し、原子力が人類に貢献できる可能性を証明したのである。
この原子力発電所の出力は5,000kWであったから、現在の100万KW級原子炉の1/200の規模ということである。
この原子炉は「黒鉛減速・水冷却型」で、燃料は5%濃縮ウランを使用していた。
以降、旧ソ連の原子炉は、黒鉛型が主流になる。
1964年にベロヤルスク1号炉、1969年に2号炉が運転開始。
これらはいずれも「チャンネル型ウラン・黒鉛原子炉」である。これに続いて、より大型のRBMK-1000型原子炉であるレニングラード、チェルノブイル、スモレンスク原子力発電所、RBMK-1500型原子炉のイグナリーナ原子力発電所が続々と建設された。
【米国の原子炉開発は、原子力潜水艦のために始まった】
一方、米国での原子炉開発は軍事用が先行した。
1947年にアメリカ海軍は、潜水艦用動力としての原子炉の開発を開始。この開発は、総合電機メーカーのゼネラル・エレクトリック社(GE)が請けたが、GEの提案は、何と冷却材に「液体ナトリウム」を使う「高速増殖型の原子炉」であった。
そういえば、世界初の原子力発電施設「EBR-I」も高速増殖炉であった。高速増殖炉の歴史は、軽水炉より古いという事実に驚かされる。
当時の原子力は未知の分野であり、燃料を増殖しながら長時間稼動する高速増殖炉は、潜水艦用に最適と考えたのであろう。
しかし、日本の「もんじゅ」の例でも分かるように、現在でも、しかも陸上でもまともに動かない原子炉を潜水艦に搭載することなど、到底無理であった。
GEの高速増殖型エンジンはナトリウム配管系に問題が多発し、開発はとん挫した。
同じ頃、国立オークリッジ研究所では、冷却材に液体ナトリウムでなく、通常の水(軽水)を用いる軽水炉の研究が進められていた。
軽水炉の方式には、PWR(加圧水型)とBWR(沸騰水型=福島原発の型)の両方のアイデアがあったが、潜水艦用としては、放射能を含む水を一次冷却側にコンパクトに収納できるPWR方式が良いとされていた。
GEのライバルであったウェスティングハウス(WH)は、海軍の依頼を受けた際に、PWR方式に目を付け、オークリッジ研究所と手を結んだ。
開発が進まないGEの増殖炉に対して、WHのPWRの開発は順調に進み、1954年に潜水艦用の原子炉が完成した。
この原子炉は、最初の原子力潜水艦であるノーチラス号に搭載され、1954年12月30日に初めて臨界に達し、翌1955年1月3日には史上初の原子力船として全力運転を行った。
【コールダーホール原子力発電所】
英国が開発したコールダーホール原発は、西側初の原子力発電所として知られている。
(私の子供時代の教科書には、この原子炉の写真が載っていた)
しかし、核兵器の生産にも使われていたので、純粋な世界初の商用炉とはいえない。
原爆に使うプルトニウムの生産に優れている「黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉(マグノックス炉)」を採用している。
この型の原子炉で実用データが集まったことから、これ以降、英国では純粋な商用としても黒鉛炉が主流となった。
1956年10月17日に、出力6万キロワットで稼働を開始した。
世界初の旧ソ連の「オブニンスク発電所」も核兵器の生産が行われていたので、商用炉とは言えない。
【米国の商用原子力発電所】
原子力潜水艦の成功で、米国政府は、引き続きウェスティングハウス(WH)に発電用の加圧水型原子炉(PWR)の開発を依頼。
WHは潜水艦用PWRの転用で、1957年にシッピングポート発電所に発電用原子炉(出力10万kW )を完成させた。
これが、電気を得るためだけの世界初の平和的利用の原子力発電所と言われている。
1958年5月26日に操業を開始、1982年10月1日に操業を終了、廃炉となった。
【フランスでは】
4番目の核保有国フランスでは、1964年2月に運転を開始したシノンA1号炉(出力8万4千kW)が最初の原子炉である。
炉の形式は、コールダーホールと同型のGCR(黒鉛型のマグノックス炉)であった。
【GEの巻き返し】
潜水艦用動力炉の開発で敗れたGEは、WHへの対抗策として、国立アルゴンヌ研究所で実験が進んでいたBWR(沸騰水型)を選択した。
GEはアルゴンヌ研究所の研究を引継ぎ、猛烈な巻き返しに転じた。
1957年に独自資金で小型の BWR実証炉(5千kW)を完成、発電にも成功する。
その後、1960年には、18万kWのドレスデン1号炉を完成させ、大型商業発電では、WHに一矢報いた。
このように、60年代初頭、アメリカではPWRとBWRの2つの発電システムが完成した。
PWRの開発には政府資金を投入したので、WH以外のバブコック&ウィルコックス社、コンバッション・エンジニアリング社等のメーカーにもPWRの設計仕様がある程度公開された。その結果、複数メーカーによるPWRの建設が進んだ。
一方、GEの単独資金で開発されたBWRは、GEと技術提携したメーカー(日立や東芝等)以外には、設計仕様がほとんど公開されなかった。
そのため、BWRの建設数はPWRに比べてなかなか伸びなかった。
【シーメンス事件】
1968年、原子力産業界を揺るがす「シーメンス事件」と呼ばれる事件が起きた。
日本と同様、敗戦国ゆえ原子力開発が遅れたドイツは、自力開発を断念し、WH社とPWRの開発で技術提携を結んでいた。
ところが、独シーメンス社の技術員数名が、米国滞在中、WHのPWRの図面を密かに全てコピーし、ドイツに持ち帰ってしまうという事件が起きた。これが「シーメンス事件」である。
当然、WH社はシーメンス社に猛抗議したが、シーメンス社は、驚くことに、
「このシステムはアメリカがヨーロッパから学んだ技術で作られている。元々は我々の物だ」と居直り、一方的にWHとの契約を解除してしまったのである(今の中国も真っ青である)。
その後、シーメンス社は、盗んだ図面で勝手にPWRの生産を開始した。
今に至るまで、ドイツ政府は米国の抗議に対して、知らん顔を決め込んでいる。
ドイツが簡単に「脱原発」を宣言したのは、「盗んだ」と言われ続けてきたことが背景にあるのは明らかである。
真相は、表層の報道とは違って、そう単純なことではないのである。
しかもドイツは、ヨーロッパの他国に、このPWRを売り込んだので、ヨーロッパではPWRが急速に普及することとなった(今だったら、とても出来ないでしょうね)。
【二つの会社のつばぜり合い】
世界中の軽水炉の内訳は、PWR:BWR=2:1ぐらいで、PWRがデファクト・スタンダード化している。
GEにとっては最初の選択の過ちが、後々までの尾を引く結果となってしまった。
ここで、この2つの原子炉メーカーのことを少々解説しておく。
<ゼネラル・エレクトリック:General Electric、略称:GE>
1878年創業。
いうまでもなく、現在でも、売上高世界第二位の総合電機メーカーであり、株式の時価総額と純利益は、メーカーとしては世界最高。
創業者は、有名な発明王トーマス・エジソンで、
彼が興した工場に、JPモルガン銀行が出資したのが始まりである。
一時期、経営危機に陥ったが、ジャック・ウェルチの手によって奇跡的な回復を遂げたのは有名な話。
<ウェスティングハウス・エレクトリック:Westinghouse Electric 、略称:WH>
1886年から1999年まで存在したアメリカ合衆国の総合電機メーカー。
旧WECの原子力部門、イギリスBNFLを経て、2006年から東芝グループとして現在に至る。
創業者は、エジソンと同時代のジョージ・ウェスティングハウスで、自分の発明を事業化したのが始まり。
これにロックフェラー財閥が出資したことで急成長した。
GE社との競争は、JPモルガン対ロックフェラーという、米国の2大財閥の代理戦争とも言われた。
GEとWHは、米国において、発電プラントから家電製品に至るまでの電気機器全般の総合電機メーカーの双璧として、19世紀の終わりから100年間もの間、競争を続けて来た。
中でも、19世紀末の電力の送電方式を巡る争いは有名で、GE(直流送電)とWH(交流送電)で激烈な競争を展開した。
結局、WHは元GE社員であった天才技術者のニコラ・テスラをスカウトするなどの裏技を駆使して、この争いに勝利し、電力事業の基盤を確立した。
GEとWHは、技術開発に対する基本姿勢がかなり違う。
リスクを取ってでも時代の先端技術を追う野心的なGEに対し、WHはより安全・慎重志向であり、先端技術を使わずとも安定に作動するシステムを目指す傾向がある。
原子力以外の分野でも、両社のこの姿勢の違いは現れている。
【日本との関係】
GEとWHは日本のメーカーに大きな影響を与えている。
東芝、日立製作所、石川島播磨重工業(IHI)等は、創業時よりGEの技術移転を受けて成長した会社である。
一方、WHの技術は、三菱グループの三菱重工と三菱電機に伝えられている。
グローバルな見地から見れば、上記の日本の大手電機、重工メーカーはGE、WHの下請企業として、アメリカ製造業界の極東組立工場の役割を長年にわたり果たしてきた。
このことによって、本家をしのぐ世界に冠たる技術を確立できたといえるのである。
90年代になり、GEとの争いに敗れたWHが解体されたため、三菱重工と三菱電機はアメリカの束縛から逃れられ、様々な技術が自前のものとなった。
一方、GE系の国内3社は、未だにGEの顔色を伺いながら事業を進めるしかないが、
2006年、東芝はWHの原子力部門の買収に成功した。
このことで、東芝は、両社の技術を手に入れ、しかもWHの技術は自前のものとなった。
「脱原発」は、そんな同社にとって大打撃となるが、6000億円もの投資を無駄にはできないし、これだけのビジネスチャンスを捨て去るとは思えない。
うがった見方ではあるが、日本という国を捨てても、世界市場ははるかに大きい。
東芝が日本を捨てるという可能性は無視できないものとなる。
【軽水炉の二つの型】
ここまで何度も述べてきたように、軽水炉には、加圧水型(PWR, Pressurized Water Reactor)と沸騰水型(BWR, Boiled Water Reactor)の2つのタイプがある。2つの型の違いを表にしてみた。
つまり、BWRは構造が簡単になるが、汚染が広がり易い。それに対し、PWRは汚染が広がりにくいが、構造が複雑になる。
日本では、東電以北の電力会社がBWR、関電以西の電力会社がPWRを採用している。
福島原発は、当然BWRである。
写真の東通(ひがしどおり)原発はBWR、美浜原発はPWRである。
東通原発は、新しい型で建屋の外観はずいぶん違っている。
一方、美浜原発は、福島第一より古く、
電力会社として初めて原子力発電の運転を開始した原子炉である(1970年:大阪万博の年)。
一長一短と言えるので、どちらの型が良いかは、単純に結論は出せない。
余談だが、3.11の大地震で東北地方の原発は大なり小なり被害を被った。
最悪は福島第一原発であるが、他の原発でも共通の弱点が露呈した。
それは、電源喪失である。
最新型である東通原発でも、非常用ディーゼル発電機が止まるという事態に陥り、電源車の投入で事なきを得たという綱渡り状態であった。
事態の切迫度は、福島第一原発と同レベルであったといえる。
原子炉の安全性設計以前に、改善が急務な弱点である。
【原子力に対する恐怖】
なぜ日本国民は原発に不安を感じているのであろうか?
まず言えるのは、国や第三者的機関が国民に分かりやすい形できちんと説明していない、という点がある。
前述したように、原子力の生み出すエネルギーは、人間の感覚レベルをはるかに超えている。
日本人が、唯一目の当たりにした光景が、広島・長崎の惨禍である。
多くの国民は、当事者でなくても、何度となく写真や映像を見、被爆者の語りを聞き、疑似体験を繰り返してきた。
不安になって当たり前である。
私も、広島、長崎を数え切れないほど訪れ、その悲惨さ、核爆発の恐ろしさに震撼している一人である。
だから、原水爆反対は「その通り」と賛同している。
しかし、反原発運動には、疑問を持っている。
広島・長崎の災禍を利用しているとしか思えないからである。
たとえば、以下のような記事を見かけた。
「福島第一原発の危険性は広島原爆の1万4000倍である」
これは、どうやら、以下の計算で出した結論のようだ。
算数の問題なら正解だが、使用している各数字が乱暴過ぎる。
でも、この数字を鵜呑みにしてしまう人は多いと思う。
この計算が乱暴過ぎる証明は、次回(第25回)行ってみる。
それはさておき、原発で使われている核燃料は理論上、核爆発を起こさない。
ウラン235の濃縮率が低すぎるからである。
核爆発を起こすには、濃縮率が70%以上必要と言われている。
これに対し、原発の核燃料の濃縮率は、2~5%しかない。
(福島第一原発の場合、平均で2.6%程度)
以下に簡単な説明をしてみる。
第19回で説明した、核反応の図を思い起こしていただきたい。
(右図)
核爆発には、このような連鎖反応が瞬間的に一気に起きる必要がある。
核分裂を起こす1個のウラン235を考えてもらいたい。
(右の図の 青の → で示した原子)
濃縮率が100%近い原爆の場合、すぐ隣も上も下も、
みなウラン235である。
一つの原子が核分裂を起こせば、一気に全部が誘爆反応するのは想像できると思われる。
(しかし、広島原爆の場合、それでも誘爆反応はわずか2%だったと言われている。案外、原爆作成は難しいものである)
次に、濃縮率2~5%の原発燃料の場合を考えてもらいたい。
近くの仲間(ウラン235)すら、原爆の20~33倍も遠くにいる。
しかも、その間は、全く反応しないウラン238がぎっしりと詰まっている。核分裂を起こす中性子線は、ごく僅かな仲間にしか届かないのである。
一気の連鎖反応など起きようもないのである。
チェルノブイリでも、核爆発は起きていない(起きたと誤解してる人が多いのですが)。
起きたのは、溶融した燃料が水と化学反応を起こした「水蒸気爆発」である。
ただ、格納容器も圧力容器も無いチェルノブイリ型の原子炉では、その爆発で、放射性物質が一気に大気に放出されてしまい、あのような大事故になったのである。
結論として、最悪状態になっても、原発は核爆発しない。
(科学に「絶対」はないので・・「絶対」とは言いませんが)
「原発反対を訴える自由は保証されていますが、「原発=原水爆」という飛躍は無理があり、誤ったメッセージといえます。」
【東芝の新たな挑戦】
2006年、東芝は、米国の原子炉メーカーのウェスティングハウス(WH)を傘下に置いた。この意味は非常に大きいのであるが、日本のマスコミはほとんど黙殺している。
というより、意味が分からないのだと思う。
今は、不幸にして「脱原発」のムードに流され、東芝の戦略はとん挫したかに見えるが、それは短絡過ぎる見方である。
そう遠くない将来、東芝は歴史に残る貢献を成し遂げる可能性が大きい。
核廃棄物をほとんど出さない、燃焼効率の極めて高い原子炉を作れそうなのである。
「トリウムーウランサイクル(232Th-233Uサイクル)」と呼ばれるこの原理を、次回(第25回)に、もう少し詳しく述べたい。
東芝は、現在の風潮に流されることなく、また、日本の国策にとらわれない自由な研究開発を続け、社会が喜んで受け容れられる理想の原子力システムを実現して欲しい。
世界の原子力システムを根こそぎ変えてしまうかもしれないのだから。
どうじゃな。新たな知識が備わったことと思う。
「原発に賛成、反対」の前に、事実を予見なく知って欲しい。
これが、特別講師の考えじゃ。
双方の立場の方、そう理解してくだされ。
最後に、東芝の研究のことを書かれていたが、特別講師は、東芝とはなんの関係もないということじゃ。
あえて言えば、友人の一人が、東芝でそのような研究をされていたとのことじゃ。
もちろん、ワシも何らの利害関係も持っとらんぞ。
じゃが、本当に、そのような原子炉が日本で出来るなら素晴らしいことと思うのじゃが、多くの国民はどう思うかな。