第37回:放射線の人体への影響

2013.05.23


ずいぶん長い間、このコーナーを休んでしまいました。
たしか、2012年11月以来のアップです。
今まで、たくさんの方にこのコーナーをご訪問いただき、多くのご質問もいただきました。
まことに、ありがとうございます。

このまま中途半端な形では終われないと、40回までを目処に、連載を再開することにいたしました。
どうか、今回を目にした方は、40回までお付き合いください。

一応、今回を含めた予告をお知らせしておきます。
第37回(今回):放射線の人体への影響
第38回:原発事故の最も深い原因
第39回:廃炉か再稼働か
第40回:原子力

それでは、今回は「放射線の人体への影響」について、まとめの解説をお送りします。


 
「放射線の人体への影響」については、過去の連載の中で何度も述べてきました。
重複することも多いですが、今回、そのまとめを書きます。

 
【低線量域とは】

5年に1度くらいの頻度で私のもとにアンケート票が送られてきます。送り主は(財)放射線影響協会・放射線疫学調査センターです。
同封されるパンフレットには、この調査の目的が以下のように記されています。


「本調査は、原子力発電施設等で放射線業務にたずさわる方々を対象として低線量域の放射線が人体に与える健康影響について科学的知見を得ることを目的としています(原文のまま)」

この原文にも出てくる「低線量域」という言葉の定義ですが、一般には、明確な健康被害の症例が報告されていないとする「100mSV(ミリシーベルト)」以下を指すようです。

私が「・・ようです」とあいまいな表現にしたのには理由があります。
この数値の根拠となっているのは、ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告です。
しかし、ICRPが「100mSV(ミリシーベルト)以下を低線量域とする」という基準を決めたわけではなさそうです。
「100mSV以下の被曝では、これまで明確な健康被害の症例が報告されていない」。
これがICRPの言い方です。
さらに、こうも書いてあります。
「広島・長崎の原爆被爆者等に対する健康影響の研究結果に基づき『放射線が人体に与える影響は、被ばくした放射線量に比例した一定の割合で低線量域でも現れる』と仮定し・・・」

つまり、広島・長崎の原爆被爆者のように、短時間に高い放射線を浴びるのではない領域を「低線量域」と定義しているようです。
しかも、「仮定し・・」と微妙な言い回しを使い、それが100とも1000とも言っていないのです。

先の(財)放射線影響協会・放射線疫学調査センターのパンフレットには、これまでの調査結果として、こんなことが書いてありました。
「放射線業務に従事している方のがん死亡率は、日本人男性と比べて増加していませんでした(原文のまま)」

 
【自身の被曝体験の皮肉さ】

これまで何度も述べてきましたが、私自身、原発内で相当量の放射線を浴びています。
その際、内部被曝もしています。
ですが、原発内がそんなに危険というわけではありません。
大半の作業員は「ほぼゼロ」に近い被曝しかしていません。
我々は、特殊な仕事をしていたため、常識外の状況で被曝をしたのです。

ですから、人体実験の被験者という見方もできますが、正確な被曝量は分かっていません。
本当は、これ(正確な被曝量が不明なこと)が一番の問題かもしれません。

被曝量が不明な理由は、これも本連載で述べてきました。
線量計などの測定計器(右図を参照)を外して原発内で作業をしていたからです。

しかし、このことは誰の責任でもありません。
命令ではなく自らが選択した行為であり、この行為の責任は私自身にあります。

ただ、年月を経て冷静に考えてみると「皮肉なものだな」とため息が出ます。
当時の我々は、原発の定期検査時に行う様々な作業に伴って放出される放射性物質の動向調査を行っていました。
まさに、あの福島第一原発の4つの原子炉が仕事場でした。

我々の仕事は、さまざまな作業に伴って放出される放射性物質の核種とその量を測定し、さらに放出後の動向を追跡調査することでした。
目的は、原発内の作業員たちの健康を守ること、原発周辺の環境を放射能汚染から守ることにありました。
しかし、その自分たちが、最も過酷な被曝をし、しかも、その被曝量を追跡出来ないようにしたのですから、「皮肉」としか言いようがないのです。

我々は、特権を有する立場であったため、自分たちを守るはずの規則や規制を無視し、警備員すら阻止できない状況を作って仕事をしていました。
若かった私は、そんな仕事を半ば得意になっていた節がありますが、結果としての大量被曝です。
これも「皮肉」としか言いようがありません。

 
【被曝の恐怖】

私に寄せられた質問の中に、
「被曝が怖いとは思わなかったのですか?」とか、
「将来の健康不安はなかったのですか?」との質問がありました。

そこで、自分の胸に手を当て、当時の心境を思い起こしてみました。
一般の方々が感じられている漠然とした恐怖はありませんでした。
原子物理学や放射線に関する一応の知識はありましたし、生物学的影響のことも学んでいました。
そうした専門知識の「ある/なし」は大きな要素だと思います。

それと、放射線被曝が全くの無感覚であることも影響しています。


「放射能の嵐」とでも表現すべき圧力容器の中に降りた時ですら、何も感じないのです(右の写真の穴の中に降りた)。
無数の放射線が自分の体を貫き、細胞に損傷を与えているにも関わらず、五感に何も感じないのです。
体につけた警報器がけたたましい音を立てることで「危険な被曝」である事実を知るわけですが、それとて、現実感はありません。

被曝から35年経ちますが、後遺症は出ていません。
被曝後に3人の子供を授かり、みな成人に達しましたが、異常が出た子供もありません。
かつてのチーム員の中からも、異常が出たという話は聞きません。
この実感の無さゆえか、未だに恐怖感はゼロのままです。


 
【放射能への恐怖】

ところが、一般の方々の放射能への恐怖は、ものすごいものがあります。
子どもへの放射線の影響を心配する親や市民が集まった「子どもたちを放射能から守る・・」のような団体が、全国で100以上設立されたと言われています。

ここまで人々の不安感を駆り立てた真の元凶は、マスコミと政府の対応です。
震災後の混乱の中で、検証不可能な、あるいは無責任な情報が錯綜し、「放射能がくる」という報道に踊らされたことが大きいと思われます。

「直ちに人体に影響を及ぼすものではない」
事故当時、枝野経産大臣が記者会見で連発した常套文句です。
この文句からは2つの解釈が出来ます。
1つは「人体への影響を心配する必要はない」という解釈。
もう1つは「直ちに人体に影響を及ぼすことはないが、長期的には人体への影響がある」という解釈。
大臣の発言の真意がそのどちらにあったかは、未だに明確になっていません。
ただ、この発言を聞いた住民や市民の多くは、後者の意味(つまり、危険)と解釈しました。
しかも、放射能は「見えない恐怖」です。
パニックを起こすのは当然です。

この結果、市民の目には、政府、官僚、専門家の全てが「信じられない極悪人」となったのです。
だから、「自分たちの手で子供を守る」となったのです。
そして、一部の有名人やアナーキーな専門家が、そこに悪乗りして、「危険だ!」と叫びます。
彼らは一躍ヒーローになりました。
彼らの行為は愚かですが、でも、一番の責任は当時の政府にあります。

では、政府(政治家)の責任とは何でしょうか。
私は以下のように解釈します。

当時も今も枝野さんは素人です。
だから、官僚や専門家の言うとおりに発言していたわけです。
しかし、当時の枝野さんは、原子力行政の責任者の立場にありました。
専門家の意見は参考にして、責任ある政治家として、自らの発言が必要だったのです。

官僚や専門家は、周辺住民の命を『三人称の視点』で見ています。
客観性や平等性を重視する必要から、どうしても乾いた冷たい目で事故や災害を見ます。
このことは間違いではありません。
その視点での意見は大事だからです。
しかし、今回の事故では、専門家として具体的な数値を出すことが出来ず、「ただちに・・」のような曖昧な表現に終始しました。
つまり、彼らは真の意味で専門家ではなかったのです。

当時の政府は、まず、専門家の人選を誤っていました。
真の専門家ならば、その危険性を数値をもって説明出来たはずです。
その上で政府は、真の危険性を冷静に分析し、住民や市民の心情に即した発言や指示をすべきだったのです。
「この地区にはこれだけの危険が見込まれる。ゆえに指示に従い、ただちに避難を行ってください」とか、
「この地区に危険はありません。ただし、今後の広報には十分に注意してください。必要があれば避難指示を発令します」
のような毅然とした広報をすべきだったのです。
これは専門家の役割ではなく、政治家の役割なのです。

結局、国民の目に映ったのは、事故情報の隠蔽など、“原子力ムラ”と称される中での利害とご都合主義による誤った政策決定であり、メディアのミスリードだったのです。
こうして、放射能に対する過剰な恐怖感が醸成されていったのです。



【WHOの報告書】

2012年11月25日に、東京電力福島第一原発事故の被曝による住民の健康影響について、世界保健機関(WHO)が報告書を発表しました。
それによると、がんなどの発生について、全体的には「(統計学的に)有意に増える可能性は低いとみられる」と結論づけています。


ただし、福島県の一部地域の乳児では、事故後15年間で甲状腺がんや白血病が増える可能性があると予測しました。

これが、福島原発事故後、初めて出た健康影響評価です。
原発事故から1年半以上が経過して、ようやく健康影響評価が出たわけです。
ただし、100ミリシーベルト以下の低線量被曝の影響には不確かな要素があるため、原爆やチェルノブイリ原発事故などの知見を参考に、大まかな傾向を分析、予測することに留めています。

WHOは、まず福島県内外の住民の被曝線量を、事故当時1歳と10歳、それに20歳の男女で甲状腺と乳腺、大腸、骨髄について、生涯分と事故後15年間分を推計しました。その線量から甲状腺がんと乳がん、大腸がんなどの固形がん、白血病になるリスクを生涯と事故後15年間で予測しました。
成人で生涯リスクが最も高かったのは福島県浪江町の20歳男女です。
甲状腺がんの発生率は、被曝がない場合、女性が0.76%、男性は0.21%ですが、被曝の影響により、それぞれ0.85%、0.23%へ若干増えると予測されました。実際の追跡は不可能な数値です。
私だったら、この程度の差は無視しますが、誰もがそうとは限りません。
だから、避難地域への帰還は、客観的なデータを示し、リスクの見方を説明した上で、住民の自主性に任せるべきと思います。
【放射線障害のメカニズム】
人体が多くの細胞からできていることは誰もが知っています。また、健康な細胞は細胞分裂を繰り返し、常に細胞の再生を行っていることも知っています。
しかし、細胞に一度に大量の放射線があたると、細胞が死んでしまったり、または細胞分裂が遅れたりします。
特に、細胞分裂が盛んな組織である骨髄、生殖腺、腸管、皮膚などに一度に大量の放射線を受けた場合は、ほぼ間違いなく、数週間以内に障害が起きます。

少量でも長期的に一定量の放射線を受けていると、造血器官などの細胞中の遺伝物質(DNAなど)が損傷します。細胞の修復能力が追いつかない場合は、がんや白血病などになることもあります。
「原爆被ばく生存者調査結果」によれば、100mSv(ミリシーベルト)の被ばくにより、がんによる生涯死亡リスクが0.5%増えるとされています。(引用:http://www.rerf.or.jp/rerfrad.pdf)

被曝期間の合計で100mSv(ミリシーベルト)以下の低線量被ばくでは疫学的・統計的に健康影響があることは示されていません。
この期間が数カ月、数年単位でも、症例は報告されていません。

ICRP(国際放射線防護委員会)は、放射線防護の観点から「低線量でも影響があるという仮説(LNT仮説)」を採用し、「健康影響がないとは言いきれない」という歯切れの悪い見解を出しています。
このように、低線量被ばくの健康影響については専門家の間でも様々な考え方の違いがあります。
次の章をお読みください。

 
【低線量域における影響】    



図5・①は、右の図6に説明がある「直線しきい値なし仮説(LNT仮説)」と呼ばれる考え方です。国際放射線防護委員会(ICRP)や、米国科学アカデミー(BEIR)などが採用しています。
高線量域(200mSv以上)における放射線量とがんの発生率の関係を低線量域にもそのまま延長し、100mSv以下であっても被曝量の増加に比例してがんの発生率が上がると仮定する考え方です。つまり、がんのリスクがゼロになる安全な線量(しきい値)は無いとする考え方です。
②は、「上に凸」とする考え方で、ECRR(欧州放射線リスク委員会)が主張しています。低線量被曝のほうが相対的に危険が大きいとする考え方です。
③は、逆に、低線量でDNAの損傷が少ない場合には、身体の修復機能が有効に働くため、「下に凸」となる、とする考え方です。
④は、フランス科学・医学アカデミーにおいて提唱されている考え方です。中国やインドの自然放射線量が高い地域でがんの発生率の増加が見られないこと、および放射線により誘発される肉腫は低線量では発生しないこと等から、がんにはリスクがゼロとなる安全な線量(しきい値)があるとする考え方です。
一方、⑤のように、いくつかの動物実験では、低線量の放射線が寿命を延ばすことができるというホルミシスといわれる効果を示す結果もありますが、実験では逆の結果も得られており現在のところよく分かっていません。

(出典:食品安全委員会:放射性物質を含む食品による健康影響に関するQ&A  P.15)
http://www.fsc.go.jp/sonota/emerg/radio_hyoka_qa.pdf

(出典:「虎の巻 低線量被ばくと健康影響(医療科学社刊)P.44~47」より抜粋)

胎児に関する影響については、日本産婦人科学会が米国産婦人科学会と同じ立場をとっていて、胎児に悪影響が出るのは、胎児被ばく量が50mSv(ミリシーベルト)以上の場合と述べています。
詳しくは下記のサイトをご覧ください。
(http://www.jsog.or.jp/news/pdf/announce_20110324.pdf)


 
【一つの結論】

こうしたさまざまな見解や実験結果、さらには私自身の被曝経験から、私は以下に述べる一つの結論を得ています。
低レベルとはいえ、放射線を浴びると確実に細胞は損傷を受けます。
具体的に言うと、DNAの鎖に切断が生じます。
その損傷の割合は被曝量に応じて増えていきます。
ここまでは各種実験でも確認されています。
つまり、低線量被曝でも細胞の損傷は起こるということです。
しかし、「だから、放射線を浴びてはいけない」と短絡的に考えてはいません。
人間の細胞には、受けた傷を修復する能力が備わっています。
放射線で傷ついた場合でもそれは同じです。傷は修復されるのです。

原爆のような高線量被ばくが怖いのは、この修復能力そのものを破壊してしまうことにあります。
こうなると、修復が出来ずに、細胞は死んでいくのみになります。
いわば、生きながら体が腐っていくのです。これが「原爆症」です。
このように放射線被曝は細胞を損傷しますが、細胞を損傷させるのは放射線だけではありません。
人間の生体活動を支える代謝そのものでも細胞は損傷します。
だから、細胞には、その損傷を修復する機能が同時に備わっているのです。
この修復能力が損傷の程度を上回っている限り、放射線による損傷を受けても心配する必要はありません。
例えば、腕にナイフで傷を付けても、多くの場合、元どおりに直ります。
しかし、腕を切断するような重症の場合、腕の再生はできません。
放射線による傷も、原理は上記と大差ありません。

しかし、この修復能力には個体差があるため、どこまでの被曝量なら大丈夫という万人に共通する基準を決めにくいのです。
私自身は、自分が浴びた量から、自分は500 mSv(ミリシーベルト)以内であれば大丈夫と認識しています。
かなり高い量ですから、人によっては障害が出るかもしれません。
でも、その場合でも、被曝環境から隔離されれば、直る確率はかなり高いといえます。
ですから、被曝したからといって、悲観的になる必要は全くありません。
これが、私が出した被曝に対する結論です。


 


今回の福島原発事故は、大地震、そして壮絶な津波の被害と重なったため、衝撃が何倍にも拡大されてしまいました。
被曝をされた方、避難をされた方々は、大変な苦労と苦痛を味わわれました。
しかし、放射線による直接被害は、今のところ報告されていません。
原発サイト内で作業された方々の中からも、報告が上がってきていません。
ネットなどで、障害を発症した人が出たかのような書き込みがありますが、デマとしか言いようがないものばかりです。
ガレキの処理問題が各地で紛糾したように、場外乱闘のような混乱ばかりが目立ちます。
被曝よりも、政府や自治体の対応の迷走、恐怖を煽(あお)るだけのマスコミ報道、無責任な芸能人、目立ちたがり屋の学者、風評被害、デマなどのほうがよほど怖く、悪質です。
2年と2ヶ月が経った今、冷静に、真実だけを見つめてみませんか。
問題の本質が見えてくると思います。