第8回:3月22日現在

2011.03.22


22日現在、事態はまだ推移しておるが、今回で一応の終了とする。
ただし、事態急変の場合は、また特別講師にお願いするとしよう。

 
【原発の現状はどうなっているのか?】

以下のプレス発表を解説する。
(1)2、3号機から煙、作業員を一次避難
21日、2号機からは白煙が、3号機からは黒煙があがった。
東電は「原因は分からない」とコメント。


この写真で見ると、何かが燃えている様子である。
原発内には、それほど可燃物はないので、塗料や油等が自然発火したのではないか。
放水の水が何かと化学反応したことも考えられる。
ただ、周囲の放射線量が増えていないことから、大きな心配はないと思われる。

(2)海水から規制値上回る放射性物質
放水した水に放射性物質が溶け込むことは確実である。
大量の水が海に流れ出しているであろうから、当然、付近の海水は汚染される。
この先も放水は続くから、計測は継続しなければならない。
ただ、危険な値ではないようなので、心配は要らない。

(3)東電は原子炉圧力容器を覆う格納容器の一部が損傷した可能性が高い2号機の電源復旧を急ぐ
格納容器の一部損傷の恐れがあるのは、2号機3号機だが、その程度は不明。
推定だが、損傷といっても表面的なものだと思う。
厚さ2mの鉄筋コンクリートと厚さ3cmの鋼鉄製ライナーを破るほどの損傷があるとは考えられない。
もし、あったとしたら、周囲の放射線量は、こんなものではないと考えられるからである。


 
【放射能汚染の恐れは?】



21日、原発敷地内の1号機の北西約200メートルの空気中から基準濃度の6倍のヨウ素131が検出された。
セシウムも検出されたが濃度は不明。
これらの元素は核分裂によってできる放射性物質なので、原子炉や燃料プール内の燃料棒が損傷していることはほぼ確実である。
しかし、直接吸い込んだとしても健康被害が出る濃度ではなく、数値は時間とともに急速に落ちていく。
また、福島、茨城、千葉、栃木などの農産物から基準値を上回る放射性ヨウ素などが検出されたとの報道があるが、この程度なら全く心配はないと断言してよい。
しかし、政府は、福島、茨城、栃木、群馬の各県知事に、ホウレンソウや原乳の出荷を当分の間制限することを指示した。
これは、予防処置というより、混乱を抑えるための処置であることを理解すべきである。
いたずらに騒ぐことのほうが実害があるように思う。



【最終的に廃炉されるのか?】

前回も述べたように、技術的には運転再開(一部再開を含めて)は可能である。
しかし、20日夜、枝野官房長官が「客観的な状況として、再び稼働できる状況にはない」と述べたことで、廃炉が前提になった感がある。
また、近隣の自治体や福島県としては、住民感情から「認められない」との立場を表明するであろう。
政治的判断の行方は分からないし、私は論評する立場にはない。




【廃炉も簡単ではないように思えるが?】

小さな研究用を除けば、日本での廃炉・解体は今までに1例しかない。
日本原子力発電の「東海原子力発電所」がそれである。
現在、新型転換炉の「ふげん」が解体に入っているが、平成40年までかかる見込みである。
廃炉・解体には、気の遠くなる期間と費用がかかる。
解体費用は、当初、100万KW級の原子炉で「200億円+α」と言われていたが、東海原発は約930億円もかかった。



解体中の新型転換炉「ふげん」(敦賀市)は、純国産の原子炉で、使用した燃料の60%ぐらいの新たな燃料がつくられる夢の原子炉の実証炉としてつくられた。
その後継の高速増殖炉が「もんじゅ」であるが、まともに動いていない。
私は、一時期「ふげん」の冷却系の設計に携わったことがある。
一次冷却材に、水ではなく液体ナトリウムを使うこともあって、技術上の問題点が残ったままだった記憶がある。


「ふげん」は故障が多い中で寿命を終え、解体に入った。
原子炉廃止措置研究開発センターによると、その解体費用は上表のとおりである。


「ふげん」は建設に6000億円をかけたと聞く。合わせて7000億円以上がこの実証実験で使われることになる。
名前の由来の「普賢菩薩」がなんと見るか。私には分からない。



(塾長)
最初の1回だけ依頼するつもりでおった特別講師の解説も1週間に及んだ。
最後に、塾長の解説を送るとしよう。
よ~く読んで、各自で考えて欲しい。



【でも、原発は止められない?】

今後、原発反対運動は激化するであろう。
また、一般の人々にも「原発怖し」の感情が植え付けられてしまった。
さらに、廃炉・解体の問題もこれから顕在化する。
特別講師が言っておった。
自分の親の年代の方々から、「だから、こんなもの造っちゃダメと言ったでしょう」と言われる。
かつて原子力施設の設計や建設にたずさわった身には辛い言葉です、とな。
だが、40年間に渡ってこの電力の恩恵を受けてきたのは、その国民なのじゃ。
(「電力会社が一番儲けてきたろう」と言われると、そのとおりじゃがな・・)
今や電力の1/3を原発に依存しているだけでなく、資源や環境問題からも火力発電に頼れない現実がある。
これを機に、全国民が使用電気量を1/3削減し、経済活動も1/3削減(GDPが2/3に落ちる)し、窮乏生活に堪えていくのであれば、原発放棄も可能じゃろう。
だが、そんなこと出来るかな?
経済は急速に冷え、企業の倒産は増え、失業者も溢れるじゃろう。
だから、「原発は止められない」という論理に行きつくのではないかな。




【それでも、日本に原発は要らない?】

一方で、原発が出す放射線や放射性廃棄物はゼロにはならん。
微量の放射線を長期間浴び続けた場合の健康への影響は未だ不明じゃ。
原発周辺の住民は、極端な事をいえば24時間浴び続けるんじゃ。
特に、成長期にある子供たちへの影響は大人よりずっと大きい。
完全に封じ込める方法がないのであれば、原発を止めるしかないのではないかな。

また、増え続ける高濃度の廃棄物処理の問題も未解決じゃ。
永久保存以外に有効な方法はなく、やがて行き詰まりがくるのう。
放射能を強制的に消去させる技術の発明が出るまで、間に合うのじゃろうか。

これから増えてくる廃炉を安全に行う技術も確立していない。
「立ち枯れさせる」という途方もないつけを払うことになるのではないかな。
そう思うと、日本経済が破綻するとしても、原発は要らないのではないか。



【では、どうすればよいのか?】

このように、2つの相反する論理がぶつかり合うことを「二律背反」と呼ぶのじゃ。
(資源およびCO2削減の上での)電力確保と放射能リスクの排除。
ともに切実であっても、今の技術では、双方が共に成り立つことは出来ないのじゃ。

兵法書の孫子は、「二律背反」は宇宙の法則として絶対的な法則であると説いている。
孫子は「因果律」さえ相対的なものだと看破しておるが、「二律背反」は絶対的真理だというのじゃ。
(遺伝子工学の発達によって、絶対と思えた親子の因果関係すら崩し始めておるのう。
孫子の著者の孫武は、2500年も前に、このことを看破しておったのか。言葉もないわい。)


では、原発推進/原発廃棄の対立は解けんのか。
結論は「二律背反の問題は解けない」のじゃ。

しかし孫子は、もう一つ宇宙の法則があることを教えておる。
それは、「万物流転」じゃ。
「万物流転」とは、「すべてのものはとどまることなく、移り変わる」という論理じゃな。
ここに大きなヒントがあるのじゃ。

ある時点で止まって、二律のどちらが正しいかと考えても答えは出ない。
そうではなく、変化の中で考え、その時その時で、二律のどちらを採るかを判断していくしかないのじゃ。
変化を恐れて止まれば、「二律背反」の絶対的矛盾の前に立ち往生する。
変化を促し、今を変え続けていくことで、その時々の答えが出るのじゃ。
これしか、二律背反の矛盾から抜け出す方法はない。

かつて人間は、人力と牛馬程度の力しか持たなかった。
やがて火薬が発明され、蒸気機関が発明され、人間は生物としての力をはるかに超える力を得た。
原子力は、その頂点に立つ技術なのじゃ。
原子力は、最初の実用からして「原爆」という大きな悲劇を生んでしまった。
その選択の反対側にあったのが、「平和利用=原子力発電」であったはずなのじゃ。
だから、「平和利用」というその時の選択は、それで正しかったのじゃ。
しかし、その平和利用が別の人間の不幸を生む時代に入ってしまった。
だが、ここで止まったのでは、「二律背反」の矛盾から抜けられない。
前へ時代を進ませるしか答えは得られないじゃろう。

賛成にしろ、反対にしろ、である。