第11回:人体への影響 その1

2011.04.08



「あえぎながら、なんとか最悪の事態に陥ることを防いでいる」

残念ながら、福島第一原発の状況は、そんなところじゃな。

最悪の事態(再臨界による炉心溶融)はなんとか防げそうだが、油断はできんな。

それにしても、汚染水に振り回されている現状は、抜本策がないことを露呈しておるようじゃな。

では、特別講師の話を聞いてもらおうかの。




下の写真は、THE WALL STREET JOURNAL紙に掲載された、3号機(右)と4号機(左)の現状である。


この事態を防げなかった初動対応が悔やまれる。
政府は東電が言うことを聞かなかったと言い出しているが、見苦しいの一言である。
緊急事態において、政府は東電に対する絶対的な指揮権を有している。
国民は、そう信じていたと思う。
しかし、そうではなかったのか。
首相をはじめとする政権幹部の低レベルの弁解は、そうした不安を助長するだけである。
心して発言して欲しい。

今までは、事態の推移をその都度、解説してきたが、これからは、テーマを絞りながら、解説をしていきたいと思う。
ただし、事態が急変した場合は、そちらの解説を優先する。

今回と次回は、放射能の人体に対する影響を中心に解説する。
私の友人・知人たちから、このことを一番聞かれるからである。
みな、驚くほど不安がつのっているようである。

中には、「東京から引っ越したほうがよいか?」とか、
「女房・子供だけは九州の実家に戻したほうが?」とかを、真剣に相談してくる人もいる。
「原発から遠く離れているのに、何を恐れるのか!」と思うのだが、パニくる気持ちも理解出来る。
情報は氾濫しているが、意味不明、解読不能なのである。

要するに、何も分からない。だから不安でたまらない。
彼ら(いや、多くの人)にとって、放射線とは見えない「恐怖」なのである。
はたまた、暗闇から襲ってくる「悪霊」なのであろうか。
知識に乏しければ、パニックになるのは当然である。
そんな方は、冷静に今回と次回の解説を読んで欲しい。





【私のやっていた仕事とは?】


まず、福島第一原発で私が行っていた仕事からお話ししよう。
我々の仕事は、かなり特殊であった。
「定期検査時における放射性物質の挙動と放射能調査」というのが業務名であった。
原発は、1年に一度、原子炉を停止して様々な検査を行うことが義務付けられている。
これを「定期検査」と呼ぶ。
この間に、各所の点検・検査を行うだけでなく、燃料棒を交換したり、機器類や配管の修理や取り替えなどを行う。
各々の作業場所で放射線量をチェックする人は別にいるのだが、それとは別に、各所に残留している放射性物質や作業で舞い散る放射性物質の挙動や放射線量を計測・分析する特命チームが組まれた。

私はその一員として業務に携わった。
原発内のあらゆるところに定点観測用の計測機器を置き、定期的に計測結果を回収する。
各作業の現場に密着して、作業で飛び出る放射性物質を回収する。
回収した試験紙等を分析器に掛けたり計算したりして、採取場所
および作業毎の放射性物質の核種や量をカウントする。
これが主な仕事であった。



仕事の性格上、我々には原発内のどんな場所にも立ち入れる権限が与えられた。
それは、言い換えると、誰も我々の行動を制限できないし、阻止できないということである。
このことが、我々の被曝量を増やしていく結果になった。
我々を制限するのは我々自身しかいないからである。
私は、燃料棒をプールに移した直後の圧力容器の中(炉心)に入り、手に持った試験紙で内壁を拭う(ぬぐう)というようなことまで行った。(右図参照)

圧力容器の中は放射能の嵐である。
内壁には放射性物質がべったり付いている。
しかし、何も見えないし、何も感じない。
まさに「悪霊」のすみかである。
アラームがすぐに鳴り出したが、作業は終わらせねばならない。それが自己責任に任される。
結果として、ムリな作業を重ね、被曝量が増えることになる。
本当の怖さは、そのような仕事の仕組みにある。
今も、現場で奮闘しておられる作業員の方々が、同じようなムリをしていることが危惧される。




【放射線は、どのくらいまで浴びても大丈夫なのか?】

放射線による障害の程度は個人差がかなり激しく、断定的なことは言えない。
だから、前述の私の被曝経験を基に解説する。
私は、作業中の電離放射線診断で血液に異常が出たが、1年ぐらいで平常に戻った。
個人的に放射線障害に対する耐性が強かったとも言えるし、成人男子なら誰でも、このくらいは大丈夫とも言える。
下等動物ほど放射線に強いことが知られている。
人間なら致死量の放射線を浴びても、ゾウリムシは平気で生きているという。



(上の写真の出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』)


こんな時に不謹慎な物言いで申し訳ないが、
そのことで、私は仲間から「下等でよかったな」とからかわれた。
私が浴びたと思われる最大の1日被曝線量は400~500ミリシーベルトと推定している。
いろいろな文献でも、この程度なら一時的に障害が出ても回復すると書いてある。
自分の体験もそれを裏付けている。

今回、緊急事態ということで、現場職員の被曝限度量を250ミリシーベルトに引き上げたが、
これは1回の緊急作業の限度値である(厚労省の規制値は100ミリシーベルト)。
ただ、この1回がどのくらいの時間なのかが不明である。
公式には、「一度にまとめて受けた場合」と曖昧な表現しかされていない。
政府や東電の発表には、こういった曖昧さがつきまとう。
ゆえに、いろいろ基準の違う数値が独り歩きして、妙な比較が行われているようである。


例えば、

「某地域の大気中の放射線量が1時間当たり0.057ミリシーベルトだった」
との報道の後、政府が「CTスキャン検診では6.9ミリシーベルト浴びる。
それから見れば安全だ」と言う。
だが、CTスキャン検診は、数分単位の1回限りの被曝量である。
1年に1回検診を受けるとした場合、年間で6.9ミリシーベルトの被曝で済む。

それに対して、前述の「某地域」の大気の中に1年間いた場合は、
0.057×24時間×365日=約500ミリシーベルトとなり、CTスキャン検診をはるかに超えることになる。
「安心だ」などと言えるのか、となる。

しかし、この計算も実はおかしいのである。
これは、24時間×1年間ずっと屋外にいた場合だからである。

仮に、1日当たり6時間で、200日屋外にいた場合を考えると、68.4ミリシーベルトとなる。
一般人の年間規制値1ミリシーベルトと比べると非常に高いが、放射線作業を行う人の年間規制値50ミリシーベルトと大差ない。
この計算も、1時間あたりの線量0.057ミリシーベルトが1年間続いた場合であるから、これでも過大な計算となるであろう。
放射能の減衰効果や人間の細胞の修復能力を考えていないからである。
このように、放射線被曝の危険度は、簡単には判断できない。





 
【JCO臨界事故の被ばく程度は?】


1999年に起きた「JCO臨界事故」では、3人の作業員が至近距離で大量の中性子線を浴びた。
上と下の絵は、彼らが行った作業の想定図である。

2人の他に、その場には監督者が1人いた。



ステンレス製のビーカーでウラン溶液を沈殿槽に移すという、
この作業は正規の手順を全く無視した危険作業であった。
その結果、容器の中が臨界状態となり、核反応が起きた。
3人は多量の中性子線を浴びた。

彼らが浴びた線量とその後の経緯は以下の通りである。


作業員AとBが浴びた線量が致死量と言われている。

作業員AもBも、病院では普通に会話が出来るほどであったが、細胞の染色体が壊されていたため、新しい細胞を作れない。
その結果、細胞が死滅していき、突然に全ての臓器がダメになる多臓器不全を起こして死に至った。
造血細胞の移植も効果がなかった。
この例は、戦後最悪の被曝事故と言われている。




【では、原発で作業している人たちは大丈夫なのだろうか?】

現場におられるご本人、あるいはご家族の方々は心配であろうが、
現状の被ばくレベルならば、健康障害は無いと言ってもよいであろう。
万が一、白血球減少等の健康被害が出ても、1年間、現場に入らなければ回復すると思われる。
(あくまでも私の経験からだが)

発表を聞く限り、現在、最も多く被曝したのは、3月24日に3号機で被曝した作業員3名で、被曝量は170~180ミリシーベルトである。
汚染水に触れた2人は、足に2000~6000ミリシーベルトという高い放射線を浴びたようであるが、
短時間であることと足の一部という局所であったため、そう心配することはなさそうである。
短時間で局所ならば、これほどの量を浴びても大丈夫なのである。


消防や警察、自衛隊の「決死隊」と言われた人たちはどうであろうか。
放水作業で名をはせた東京消防庁の部隊が最高で27ミリシーベルト。
自衛隊員は数ミリ~数十ミリシーベルト。

医療放射線関係者と大差ない被曝量である。健康には何の心配も要らないと言ってよい。
ずっと原発に留まって作業している東京電力の社員の中からは、政府が定めた緊急時の被曝限度である100ミリシーベルトを超えている者が数名出てきた。

現在は、緊急事態ということで、限度は250ミリシーベルトに引き上げられているし、国際放射線防護委員会は緊急時の限度を500ミリシーベルトとしている。
しかし、100ミリシーベルトを超えた職員は、交代させたほうが無難と言える。

要するに、現状であれば心配はないと言えるが、浴びる量は少ないに越したことはない。
作業手順の組み立て方が重要になってくる。
それと、現場では線量計が足らず、当初は5人に1個ずつしか持っていなかったと聞く。
しかも、予定時間を大幅に超えて現場に留まった作業員もいるようである。
その人たちの被曝線量は正式には分からないということになる。
私が浴びた400~500ミリシーベルトぐらいまで浴びた人がいる可能性はある。
これも私の経験からだが、それでも、あえて大丈夫と言っておきたい。

次回は、一般の人たちへの危険度、線量計の知識、内部被曝の怖さなどを解説する。
なるべく早く掲載してもらうようにするので、ぜひ「その2」も呼んで欲しい。




どうじゃな。少しは安心したかな。

しかし、放射線に対する耐性は個人差が激しいようじゃな。

誰であれ、余計な放射線被曝は避けねばならん。

現地では、綿密な作業計画、作業手順が必須じゃ。

上に立つ者は心して欲しい。