第40回(最終回):原子力という力

2013.12.30


2年10ヶ月に及んだ本コーナーも最終回を迎えました。
最後に、原子力そのものを総括し、福島の事故に対する一つの結論を出したいと思います。

福島第一原発の現状は、収束に向かっているとはいえ、
最終的な終息には20年以上の歳月が必要と思われます。
「形あるものは必ず壊れる」という当たり前のことを
軽視した当然の結果です。

必要だったのは、「壊れる、壊れない」ではなく、リスク対策の有効性を問う議論だったのです。
それが、「推進/反対」の不毛な議論の末に「カネで解決」という、安全性とは何の関係もない解決法で決着させてきたわけです。
この反省も総括もされないまま、再稼働へと政治の舵は切られました。
推進派はもちろんですが、反対派にも、その不毛を招いた責任があります。

それでは、最後の講義を特別講師にお願いします。


 
2011年3月11日は、永遠に忘れることができない一日になりました。
TVのリアルな画面に映し出された津波の凄まじいまでの破壊力に思考力を奪われました。
そして、追い打ちをかけたのが、福島第一原発の事故です。
かつて、あの原発で働いていた私は、大きな衝撃を受けました。
そして、第一報を聞いた段階では、
「大丈夫、原発は安全に停止する」と信じて疑っていませんでした。
自分の知る限りの数々の安全装置が原子炉の暴走を防ぐと信じていました。



[第40回(最終回):原子力という力]
しかし、「非常用電源を含めた全電源が失われ、冷却不能に」との報が入った時には自分の耳を疑いました。
原発の中の電源がダメでも、外にはいくらでも電源があるではないか、現場は何をしているんだ、と思いました。
実際、結果論ですが、打つ手はいくらでもありました。
しかし、東電も政府も迷走を続け、ただ時間を空費するのみでした。
その結果の水素爆発です。

今となっては、この愚を繰り返さないことが肝心です。
そのためには、原子力というものを正しく知って欲しいと思い、本コラムでの講義を始めました。
それも、今回が最後となります。
多少長くなりますが、最後までお読みください。


 
【原子力という力】

キュリー夫人が放射線を発見してから100年あまり、多くの科学者たちが心血を注いで研究を続けた成果は、人類に計り知れない知識と恩恵を与えてきました。
その一方で、初めて実用化された成果が原子爆弾であったように、原子力はその強大な力のゆえに、最初から悪魔の運命を背負わされてきました。

その後も、原子力潜水艦など、軍事目的が先行しました。
ただ、このことは原子力に限らず、科学のどの分野にも共通することです。
「費用対効果」より「絶対的効果」を求める軍事目的が科学をリードしてきたのが、人類の歴史ですから。


「平和利用」という点では、工業、化学、医療などの分野で人類に多くの恩恵を与えてきました。
その中にあって、エース的存在が原子力発電だったのです。
このあたりの経緯は、第23~27回で解説しました。
そちらをご覧ください。

しかし、スリーマイル島、チェルノブイリと原発事故が続き、福島でも深刻な事故を引き起こしてしまいました。
世界中で原発反対論が優勢になったことは当然といえます。

事故が起きる前から、原子力は、その強大な力ゆえに危険視され、非難の対象になってきました。
しかし、実際には、チェルノブイリを除き、スリーマイル島や福島では、死者はおろか深刻な被害者も出ていません。
福島の場合は、政府と東電の無策が混乱と恐怖を大きくしてしまったと言えます。
また、マスコミの偏向的な報道と市民の知識の乏しさが、過剰反応を生み出したとも言えます。
その意味から、賛否の前に、もう少し原子力や放射線のことを知って欲しいと思っています。


 
【トリチウムは、そんなに怖いものか】

汚染水の流出が原因で、「トリチウム」という放射性物質がマスコミに煩雑に登場しました。
トリチウムは「三重水素」ともいい、水素の放射性同位体(つまり、兄弟のようなもの)です。
核融合発電の燃料になると言われ、海水中に無尽蔵に含まれている元素です。

「放射性物質」といっても、トリチウムによる放射線障害は心配するレベルではありません。
トリチウムは、放射線の一種であるベータ線を放出しますが、そのエネルギーは低く、細胞を突き抜けることもできません。
そもそも、生物の体の中にある水分にも含まれているものです。
唯一、気になるのは内部被曝ですが、海水中の現在の測定量(17万ベクレル)程度では問題ないでしょう。
この海水を毎日飲んだとしてもです。
つまり、この問題も、報道がセンセーショナルに煽(あお)りすぎということです。


 

 

【日本の原発は、どうなる?】

まもなく再稼働する原発が出てきます。
しかし、日本国内で新しい原子炉を建設することは当面は難しいでしょう。
今はブームの再生可能エネルギーの限界がはっきりし、エネルギー不安が大きくなったときにカムバックする機会があるかも知れない・・というところでしょうか。

しかし、トルコの受注などに見られるように、海外では日本の原発に対する評価は高いのです。
商業用原発を世界最初に稼働させた英国は、原発建設を長い間、停止してきましたが、このたび、原発の新設を決定しました。
しかし、停止している間に技術が失われてしまったため、日本メーカーとの提携を考えているとのことです。

それでも、日本国内の反対論は根強いです。
反対派は、外国への輸出に対しても「危険を売るのか」と非難していますが、導入を決定するのは、その国々です。
なにかおかしいと思うのは、私だけでしょうか。
今は外国からの需要に応えて実績と経験を積み、将来に備えることが日本の取るべき道だと思います。


 
【新型原子炉】

福島第一原発の事故後、日本のメーカー各社は、原発の安全性向上に力を入れてきました。
その結果、以下に示すように、安全性が格段に優れた新型原子炉が開発されてきています。


1.電源なしでも自力冷却が出来るAP100
東芝は、経営傘下に納めた米ウエスチングハウスと共同で、「AP1000」という新型原子炉を開発しました。

AP1000は、仮に福島第一原発と同じ状況になっても、電源なしで最後まで自力冷却できるという設計になっています。

2.燃料交換不要の超小型原子炉4S
もう一つ、世界が注目する次世代原子炉があります。
東芝が電力中央研究所と共同開発を進めている「4S」と呼ばれる超小型高速炉です。
今回は、この炉について、少し詳しく解説します。

既存の原発は発電出力100万KW級が標準となっていますが、4Sは1~5万KWと小出力です。
大きさも、炉心は直径0.68m、高さは2mとコンパクトなものです。


一番の特徴は、燃料交換なしで10~30年間の連続運転が可能なことです。
燃料交換がこれだけ長期になれば、原子炉を収納する容器の密閉度が向上するため、放射性物質の封じ込めも容易になります。
また、炉心温度が低いため制御しやすいほか、船舶で輸送して据え付けができるなどの利点も大きいです。

福島の事故では、全電源喪失で冷却水が絶たれ、原子炉の燃料が冷やせなくなり、あの事故に至りました。
これに対し、4Sは低出力で炉心温度も低く、非常時の冷却や安全制御の確実性が格段に高くなっています。

これまでの原子炉は、制御棒の出し入れで反応のコントロールをしていました。
図の「右側」は、加圧水型原子炉の構造イメージ図です。
このように、制御棒が圧力容器を貫くため、密閉度が弱かったのです。
事故を起こした福島第一原発の原子炉は、沸騰水型で、制御棒を出し入れする穴が容器の下部に設けられていました。
結果として、その穴からメルトダウンした燃料が漏れ、圧力容器を囲っている格納容器の中に漏れてしまったのです。
穴が下にあれば漏れやすいのは当然ですが、そこを軽視していたのです。
小学生以下と言われても仕方がない技術上の失態です。

これに対し、4Sは「反射体」という鋼鉄の筒で燃料の反応をコントロールします(先の図の「左側」を見てください)。
この反射体の中心を燃料が通っていて、反射体がかぶっている部分の燃料だけが反応します。
反射体から外れている部分は反応しないので、反射体を完全に外してしまえば燃料は一切反応しなくなります。
従って、原子炉を密閉することが出来、かつ、非常時の冷却も確実に行うことができる安全性の高い構造といえます。


 
【再生可能エネルギーは原発の代替となり得るのか】



再生可能エネルギーの普及を支えているのは、固定価格買取制度です。
太陽光や風力で作った電力を、国が決めた価格で電力会社が買い取る「固定価格買取制度(FIT)」が導入されてから、1年あまりが経過しました。
その現状をチェックしてみました。

1.固定価格買取制度の基礎知識
FITの対象となる再生可能エネルギーは、太陽光・風力・水力・地熱・バイオマスの5種類です。
これらで作られた電力は、国が定めた固定価格で電力会社が買い取り、電気料金に上乗せされます。

買い取りの固定価格は、経済産業省に設置された有識者委員会で毎年決められます。

FITを利用して売電するには、その設備が法令で定める要件に適合していることを国に認定してもらう必要があります。
発電事業者は、設備の認定を受けた年の価格を基準に、10~20年間にわたり一定の価格で電力会社に売電できます。
この買取価格は再生可能エネルギーの種類や発電能力の規模によって異なりますが、1kW時あたりの価格で、2013年度は太陽光38円(発電能力10kW未満の場合)、風力57.75円(同20kW未満)、地熱4 2円(同15000kW未満)などとなっています。

2.再生可能エネルギー発電の現状
以下の表は、経済産業省の資料から作成した再生可能エネルギー発電設備の導入状況です。


FITが導入されてから、ビジネスチャンスとみた企業が次々に発電事業に名乗りをあげました。
経済産業省が2013年8月に発表した資料(上表)によると、2013年5月末までに設備認定を受けた新設計画は、発電量で約2237万kWにもなり、発電能力ベースの単純比較で原発20基以上に相当すると言われています。

「これで、もう原発は要らない」との声が出ていますが、問題は稼働率の低さです。
上表から分かるとおり、2013年5月末までに稼働できているのは約336万kW(15%)に留まっています。
しかも、事業ではない「住宅の太陽光発電」を除くと、わずか181万kW(8.7%)です。
どうして、こんなに低いのでしょうか。

この理由ですが、まず発電に必要な機材の供給が需要に追いついていないことがあります。
設備認定が集中している太陽光発電は、太陽光パネルのメーカーの倒産が相次いだこともあって、調達にかなり時間がかかっています。
エネルギー買取価格が高い小型風力も、風車の性能評価に費用がかさむこともあり、普及が進まないようです。
つまり、この買取価格では採算点に乗らないことが明白になっているのです。
太陽光パネルメーカーの倒産も、結局は採算に乗る生産ができなかったことに原因があります。
しかし、電力会社の売電価格をはるかに上回る買取価格の設定という無理を重ねているため、この買取価格を上げるわけにいかず、暗礁に乗り上げかねない状況です。

この固定買取価格は毎年変わるのですが、初年度に高水準に設定された(太陽光発電で42円/KW)時に駆け込み申請された権利を転売するブローカーも出てくるなど、負の側面ばかりが目立ちます。

また、もっと大きな問題があります。
電力会社の送電網の容量が不足しているというのです。

例えば、メガソーラー計画の15%を占めると言われている北海道では、北海道電力の送電線の容量不足で、計画された出力の52%にあたる14万7500kWが行き場を失っていると言われています。
不安定な電力である再生可能エネルギーが送電線の負荷を押し上げてしまうためです。

大きな可能性を秘めている再生可能エネルギーですが、有効活用には乗り越えるべきハードルが高いといえます。



【福島の原発事故は、日本の豊かさがもたらしたもの】

これが私の出した結論です。
この説明のため、時計の針を50~60年ぐらい戻してみます。

1.原子力の黎明期

昭和30年台の日本は、敗戦の貧しさから抜けるのに必死でした。
そして、戦後復興の最大の障害は「電力不足」でした。
巨費を投じた黒部ダムが造られたのもこの頃です。
しかし、水力発電の限界が見える中、日本は原子力発電に希望を見出しました。
資源はないが技術はある日本が必然的に見出した道といえます。

最先端の技術を学ぶため、若く優秀な技術者や科学者たちは、競って原子力先進国の英国や米国に留学しました。
彼らには高い基礎知識があり、かつ日本人持ち前の勤勉さがありました。
驚くほど短時間で、欧米の技術や知識を吸収し、日本の原子力技術レベルは昭和40年代末ごろには欧米に追い付きました。
その後も独自の技術革新を続け、いつしか日本の原発を視察した海外の専門家から、「まるでホテルのよう」と絶賛されるまでの施設を造り出すに至りました。
あくなき努力で、より良いものを造り出す。まさに日本の“お家芸”です。
こうして、「日本の原発は世界一」と、国民だけでなく専門家も信じて疑わないほどの水準に達したのです。



手塚治虫のテレビアニメ「鉄腕アトム」が始まったのが昭和38年。
主人公の名はアトム(原子)、兄のコバルト、妹のウランの名前は、放射性物質の名前です。
このように原子力は、お茶の間にもすんなりと受け入れられていったのです。
日本復興の象徴として。

2.豊かさの代償

しかし、昭和40年代の高度成長の時代に入ると、風向きが変わってきました。
経済的な豊かさを手に入れた代償として、公害問題が各地で発生し、科学技術や経済優先に対する疑念が広がってきました。
同時に、安保闘争に象徴されるように、政治に対する市民運動が先鋭化してきました。
誤解を恐れずに言えば、この運動も豊かさゆえに生まれたものではないでしょうか。
貧しい時代には、食べることに精一杯で、そうした余裕もなかったのですから。



やがて、その矛先は、国家の科学技術の象徴だった原発にも向けられてきました。
原発は、唯一の被爆国だからこそ原子力の平和利用に重ねた夢だったのですが、被爆国ゆえの放射能への拒絶へと反転したのです。
「原発も事故を起こせば原爆となる」とです。
こうして、反原発運動は野火のように広がり、高まっていきました。


3.100%の安全

マスコミの論調も、原発に対して厳しい目を向けるようになりました。
でも、その厳しさ自体は正しいことだと思います。
原子力は、決して甘く見てはならない力だからです。
しかし、反対運動の激化は、やがて「わずかな放射能漏れも許さない風潮」になっていきました。
こうした世論に応えようと、科学者や技術者たちは安全対策に必死の努力を払うようになっていきました。
しかし、皮肉にもそれが大きな落とし穴になったのです。

1992年、国際原子力機関(IAEA)は、原発事故に備えた指針を改定しました。
それには、住民避難の準備や汚染拡大の防止など、今に通じる指針が多く盛り込まれていました。
IAEAの提案に沿った対応を取るべきと主張する科学者もいましたが、反対運動の激化がそれを許しませんでした。
政府は「そんな対策など取ったら『原発は危険だ』とする反対運動に力を与えてしまう。
そんな弱気なことは許さない。原子力屋なら絶対に放射能を出さない原子炉を造れ」と、科学者側の懸念を一蹴したのです。
たしかに、日本はそれほどの強い決意で原子力の安全対策に臨んできたのです。
しかし、そのことへの自負と反対運動の激化が、「万が一に備える」という重要な視点を抜け落ちさせてしまったのです。

私たちが、原発の説明会で、反対派の住民から「100%安全だと言え」と迫られたのも、この頃です。

ある新聞に、以下のような論文が載りました。
「(前略)しかし何より問題なのは、原発事故に関する事実の隠蔽、国民をミスリードするメディアの統制、いわゆる"原子力ムラ"の中での利害とご都合主義による政策決定の独走といった民主主義の基本を逸脱した問題があまりにも目につくことだ。(後略)」
この通りだと思いますが、この論文には「100%の安全を求める民主主義の無理強いが事故を招いた要因のひとつ」とする視点が抜けています。
一番大事な視点だとおもうのですが。


4.やがて慢心が支配する

日本人には、有頂天になると慢心が支配するという悪癖があります。
バブルの頃、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持ち上げられ、「もはや、欧米に学ぶものなし」と慢心を極めたことは記憶にあると思います。

原子力規制委員会の田中俊一委員長は、「1970年代ぐらいから、軽水炉は完成された技術と言われるようになっていた」と言っています。
田中委員長は、私と同年代の方ですので、言われていることは私も耳にしていました。
しかし、同じ頃、私は原発の現場で放射線を浴びながら悪戦苦闘していたのです。
現場と上層部とは、これほどまでに乖離していたのです。

2001年、米国原子力規制委員会(NRC)は、ニューヨークの同時テロを機に「B5b」と呼ばれる原発に対するテロ対策を作成しました。
この中に、「全電源を喪失した際の備え」も言及されていました。
この内容は、当時の経産省・原子力安全・保安院にも伝えられましたが、この重要な知見を関係者に広報することもせず、対策も一切講じられなかったのです。
政府部内も、このくらい慢心と弛緩が支配していたのです。


5.この事故は防ぐことが出来なかったのであろうか

「なぜ、異論を唱える権威ある専門家が出てこなかったのか」という疑問が湧くと思います。
実際に、そのような方はいたと思います。
しかし、巨大な国家的事業に進言できるだけの方はいなかったのです。

冒頭の「黎明期」で述べたように、優秀な若い科学者たちが、戦後の焼け野原からの復興を目指して欧米から原子力技術を持ち帰りました。
しかし、同時に「大きな力がもたらす負の側面」にも目を向け、その抑制も考えるという「真のリーダー」は育ってこなかったのです。
そこへ「100%の安全」を求め、決して妥協しない反対者たちがいて、狂気のごとく先鋭化する。
この両者の不毛の対立が、原発事故の真の原因だと分析しています。

元原子力安全委員長の松浦祥次郎氏は、以下のように言っています。
「長い間大丈夫ということが伝承されると、過去は水に流れ、重要な知識は消えていく。失敗の本質に近づける仕組みが作られなかった」

原発事故という代償を払った日本は、この原因の全てを解明し、後世に残さなければいけない。
そして、より安全性の高い技術を確立し、これも後世に残す必要がある。
それは、「原発をゼロにする」という後ろ向きの結論ではなく、「原子力を人類の未来に役立てる」という前向きの結論であるべきだと私は思います。


 


長きに渡った連載をお読みいただき感謝いたします。
特別講師の結論は、論議を呼ぶ結論かもしれませんが、我が身を放射線にさらして得た結論です。
その重みを受け止めて欲しいと切に願います。