第8回:建設会社の経営(6)

2007.10.01

◆偶成

自分の夢に比べて人生は余りにも短く、時は一瞬にして後ろに去っていく。
経営者は勿論のこと、志を抱きビジネス人生を生きている方は、皆そのような思いに捉われているのではないでしょうか。

今回の冒頭に、朱子学を大成した中国・南宗の大学者「朱喜」の残した四行詩を掲げます。
生涯を学問の真髄を極めることにつぎ込んだ彼が学究の徒としての万感の想いを込めた「偶成(ぐうせい)」です。
この詩の冒頭の句、「少年老い易く学なり難し」はあまりにも有名なフレーズで知らない人はいないくらいです。
だが現代では、この句の全体を知っている人は少なくなりました。
いえ、このフレーズが下記に示す四行詩の一部であるということすら忘れ去られようとしています。

江戸時代、多くの藩校では 子弟にこの句を暗誦させたと言います。
明治維新を起こした若き志士たちもこの句を口ずさんでいたことと思います。
筆者の大好きな漢詩の一つです。
今回は、原文をそのまま掲げます。
次回、読み下し分および要約を述べたいと思います。(横書きで読んでください)

    偶成

      少 年 易 老 学 難 成

      一 寸 光 陰 不 可 軽

      未 覚 池 塘 春 草 夢

      階 前 五 葉 巳 秋 声
 
 
 
◆金儲けの哲学:パート2

前回の「金儲けの哲学:パート1」を箇条書きにまとめる。
①ビジネスの中心的考えは「いかにして金を儲けるか」である。
②その初動は「いかにして金を集めるか」である。
③中小企業の多くは、資本と経営が一体になっているが、これが弱点である。
④金が無い経営者は、どんな手を使っても何とかして金を作るしかない。
⑤金を集めたら、「金儲けの仕掛け作り」をする。これが、「ビジネスモデル」である。
⑥複雑な経路を持つ「ビジネスモデル」は失敗する。経路は一本、短いほど良い。
⑦「ビジネスモデル」には、どこかにオリジナルな新しさが必要である。
⑧「金儲けの仕組み」は、はっきりと見えるようにする事である。
⑨金儲けには、参加する者の精選が絶対的条件である。

特に最後の⑨は重要である。
自らが経営する企業体に参加要件を満たしていない社員はいないか、いたらどうするか。
この問い掛けを経営者は常に行なわなくてはいけない。
この解決が最も難しく、この放置は失敗者が必ず踏んでしまう教訓でもあるのだ。
金儲けとは冷徹なる哲学であることを肝に銘じる必要があるが、それを狂わせる最大の要因が「人」である。

さて、上記の続きとして以下にパート2を展開する。
今回は金持ちになる三つの法則を示す。
この法則は別に目新しいものではなく、いろいろな人が様々な言葉で言っていることである。
それを筆者が自分なりにまとめたものである。

・法則その1:心身ともに健康であること。
・法則その2:24時間×365日働くこと。
・法則その3:事業の上で幸運に恵まれるか、親が金持ちであること。

この3つが全て必要なのである。
「不可能だ!」と嘆く方は金持ちになるのを諦めるしかない。
ただ、それでは本論の読者に失礼なので、以下にもう少し解説してみる。

第1の法則は当然のことであるが、特に心の健康が重要である。
たとえ身の健康が損なわれていても心が健康であればカバーが出来るが、その逆はカバー出来ない。
松下幸之助は病弱であったがゆえに「どうしたら、この仕事を人にやってもらえるか」ばかりを考えざるを得なかった。
その結果があの成果である。
残念ながら筆者は松下幸之助本人に会ったことはない。
だが、幸之助と親交のあった方や直接接した方々から聞いたエピソードが幾つもある。
どれも「なるほど」と思わせるものばかりである。
勿論、脚色されている部分もあると思うし、時代が違うので“まね”しようなどとは毛ほども思わないが、参考にはなる。
筆者は自らの経験則から「精神は肉体を凌駕する」と信じている。これが「法則その1」の真の意味である。

第2の法則は「絶対に不可能だ」と言われそうである。
だが、それはサラリーマンの発想である。
勤務に拘束される時間で給料をもらうサラリーマンならそうであろう。
しかし、卑しくも経営者として働く者および経営者を目指して働いている者なら、筆者の言わんとしていることは分かるはずである。
経営とは、寝ても覚めても事業のこと会社のことを考え続け行動し続ける行為である。
たとえ、家族と一緒に食事をしていても、スポーツに興じていても意識が経営から離れることはないのではないか。
また、出来ることならば、文字通り24時間×365日働く覚悟は当然と思っているのではないか。真に経営を目指す者にとっては、これも当然の法則である。

最後の第3の法則は少々意味が深い。
「金持ちの親」は実際の親とは限らない。
いざと言う場面で、実の親のように無条件の支援を与えてくれる存在(スポンサー)がいるかという意味である。
この支援は金だけではない。
金より価値のある「一言」というものもある。
だから、金持ちの実の親がいても何の支援もしてくれないのでは意味はない。
そのように物心両面で支えてくれるスポンサーは、特に創業間もない時期には必須の存在と言える。

「幸運に恵まれる」は、「奇跡と思えるほどの幸運」である。
これは望んで得られるものではない。
だから全くの他力のように思われるが、そうではない。
「幸運に恵まれる」ことも本人の資質と言えそうである。
筆者の知る範囲でも、金持ちの大半は「稼ぎたい!」という人ではなく、とにかく仕事に没頭する人である。
そして、どんな絶望的な局面に立たされようと決して諦めない人である。
幸運は、そんな人の上に舞い降りるようだ。
まだまだ書きたいことはあるが、次の機会に譲ることにする。乞う! ご期待。


 
◆ゼロベース発想が経営を変える:クッション・ゼロで会社を立て直す

筆者は「クッション・ゼロ」と呼ぶ工事原価管理手法を考案し、提唱している。
この手法の基本的概念は実に簡単なことである。
ここに問題を出す。
5%の余裕を見込んだ目標利益率10%の工事を最終的に15%にしたA君と、余裕0の目標利益率20%の工事を最終的に15%で終えたB君のどちらを評価するか、という問題である。
これを経営者の視点で考えて欲しい・・・。

本項のサブタイトルに「クッション・ゼロ」と書いてあることから、多くの方は「B君」と答えたのではないかと思う。
しかし、 実務では上記のように全てのプロセスは見えない。
A君:10%→15%、B君:20%→15%、という結果 しか見えないと思う。
そして、その結果のみで実際は「A君」のほうを評価しているのではないか。
「5%も利益を上げた。よくやった」という賞賛すら聞こえてきそうである。
一方、B君には「5%も利益も下げた。甘いヤツだ」との評価を下すのではないだろうか。
では、どうしてそのような評価になるのか、もう少し考えてみよう。

A君は、余裕5%を公開はせず、「これがギリギリの予算です」と上司に訴えたであろう。
一方、B君は、考えられる限りの余裕を全て削り落とした予算を組んだ。
同じように「ギリギリの予算です」と報告したであろう。
この時点では、B君の予算はA君より10%も低いのだが、二人は同じ工事の予算をそれぞれで作成したわけではない。
全く別々の工事の予算を作成したのである。
A君が巧妙に余裕を予算内に隠せば、上司は「この工事は利益10%がギリギリだな」と騙されるであろう。

つまり、A君の能力とは「余裕を巧妙に予算内に隠し、あたかも余裕ゼロに見せかける能力」に他ならないのである。
一方、B君の予算を見た上司は「利益が20%出るのか。まずまず美味しい工事だ」ぐらいにしか思わないのではないのか。
B君の予算を切り込む能力は評価されないのである。
そして、結果は上述の通りである。
隠してあった余裕を吐き出し+5%の利益を誇示したA君は評価され、懸命の努力にも関わらず、見込めなかった原価が顕在化し、あるいは不測の事態の処理に経費を食われ-5%の利益を失ったB君は怒られる、という結果になるのではないか。

筆者は、現場代理人時代、上記のことに大きな疑問を持った。
それは、自分がA君であったからである。
それでも、怒られることが怖くてB君にはなれなかった。
それで、自らを二重化することにした。
つまり、最初はB君になって本当のギリギリの予算を作る。
次にA君になり余裕を巧妙に予算の中に隠していき、上司に「これがギリギリの予算です」と申告し、承認を取る。
工事が始まったらB君に戻り、余裕の無い実行予算で現場をシビアに管理し、不測の事態の発生や追加原価の発生を実績として監視していく。
月末になるとA君に変わり、会社の承認を得た「余裕ありの実行予算」内に原価が収まっているかをチェックする。
こうして現場管理上はB君、会社に対してはA君の顔を向けながら二重管理を行い、何とか会社に対して+5%の利益向上を報告して評価を勝ち取るのである。
「なんだ、俺だってやってきたよ」という方々も多いと思う。しかし、A君、B君の意識はなかったと思う。ここが肝心である。
管理職になってまず意識したことは、現場代理人時代の自分の否定である。
「自分のような現場代理人を評価しない」としたのである。
そしてB君を評価することを部下に告げたのである。
その時、部下を指導するために手法として作成したのが「クッション・ゼロ」と呼ぶ管理手法であった。
どんな手法であれ、目に見える形にして管理者の評価基準を明示しない限り、他人は理解できないし、行動できない。
このマニュアルを基に教育を行い、実際の現場に適用し、結果を分析し、その結果で手法の是正を行い、というサイクルを部下たちと一緒に延々と繰り返していった。
さらに独立を果たしてからは、「ぜひ取り組みたい」と強い意欲を示した建設会社に適用し、効果を上げてきた。
これがクッション・ゼロの生い立ちと発展の話である。




<あとがき>

もう過去の事件となってしまった感のある姉歯元建築士の偽装設計ですが、根幹の問題は議論されることもなく、葬り去られたようです。
あの当時、業界関係のかなりの方 は、「いつかは浮上する問題」と思っていたのではないでしょうか。
筆者もその一人です。
一人の悪徳設計士の犯罪ではなく、「建設物の価値」という最も根幹の課題を「価格」という一点だけの価値にしてしまった「なれの果て」の姿 だったはずです。
それは建設産業界全体に対する不信として、我々に突き付けられ た刃だったはずです。
だが産業界も監督官庁も、個人の犯罪でフタをしました。
被害者を除く国民もほどなく忘れてしまいました。
根本の問題はそのままです。
いつか、どこかで火を噴くかもしれません。
次回は、今回の続きを書く予定です。
クッション・ゼロ手法については具体的な話もしたいと考えています。
上記の犯罪を起させないことにもつながる手法と自負しています。