第2回:営業と経営

2007.10.01


筆者は、かつて建設会社のサラリーマンであったが、今は地場に根ざす中小建設会社の強化を目的とする企業グループの経営に身を置いている。
そこで多くの建設会社の方々とお付き合いさせていただいているが、第2回の今回は、中小建設会社の営業と経営の関係を論じてみることにする。



◆発注者と建設会社

いきなり重たいテーマだが、どうしても最初に論じておく必要がある。
請負型産業の宿命であるが、建設産業は発注者・顧客に弱い。
公共工事は勿論のこと、民間工事においても理不尽と思える顧客の要求に膝を屈する姿はあまりにも情けない。
こう言うと必ず反論される。
「発注者やお客に見放されたらおしまいだ」。
その通りである。
筆者も理不尽な要求に膝を屈してきた人間であるから大きなことは言えない。
だが、この反論は正確ではない。
正確には、「市場に見放されたらおしまいだ」なのである。
この意識の差は大きい。
発注者・顧客は、市場のほんの一部の姿である。
しかし、多くの経営者・社員は、目の前のお客の姿を市場そのものと錯覚する。

ここで他産業の例を見てみよう。
少し古い話になるが、カルロス・ゴーン社長の改革で大きく変化した日産の話である。
この改革の中で、長い歴史を誇った神奈川県の座間工場が閉鎖された。
日産を代表する大工場であり、当然、多くの下請会社を傘下に納めていた。
工場の閉鎖は下請け会社の経営を直撃した。
そして多くの企業が消えた。
しかし、それでも生き残った下請け企業はいた。
その差はどこにあったのであろうか。
消えた企業は、市場ではなく目の前の日産という会社しか見ていなかった。
いや、日産すら見ていなかった。
見ていたのは、座間工場という一工場のみであった。
だから工場と共に会社も消えたのである。

生き残った下請企業の社長の一人は、筆者にこう語った。
「工場閉鎖を通告された時、私は30年間経営をやってきていながら、
   一度も本当の営業をしてこなかったことにやっと気付いた」

この会社は、それから死に物狂いの営業を、相手もエリアも広げて何百社にも掛けた。
日産の他の工場は言うに及ばず、他の自動車会社、自動車以外の機械メーカーへと。
「市場の存在に気付けば、営業先は無数にあった」この社長の述懐である。
市場に向う経営こそ、これからの時代の経営なのである。

「こんな話は他産業のことで、建設会社は違うんだ」という方は、そもそも、この連載を読んでもいないであろうから無視して話を進める。



◆建設営業

筆者の故郷は新潟である。
生まれ故郷の近くに「亀田製菓」という菓子メーカーがある。
今では、大きな工場を構える地元の大企業であるが、筆者の子供の頃は、今にも潰れそうな小さな田舎の工場であった。
しかし、社長の意気は高く、最初から市場として全国を見ていた。
そして、その通りになった。
市場として地元しか見ていなかったその他多くの菓子メーカーは、今はもう存在していない。
先ほどの自動車産業の下請会社の例と同じである。

建設産業は徹底的に保護されてきた。
競争らしい競争もせずに多くの企業が共存出来た。
国も法律の力で競争を制限してきた。
のどかな時代であった。
しかし、本来、営業とは競争なのである。
良い物を安くタイムリーに提供する競争である。
勿論、もう一つの側面がある。
それは信頼感を得る競争である。
「あの会社に頼みたい」、「あの人に発注したい」とお客様に言わせる営業である。
この両面を組み合わせることこそ営業の醍醐味である。
これは公共工事においても同じはずなのである。

これまで業界を保護してきた行政と政治も大きく変化してきた。
多くの建設会社はこの現象をピンチと捉えている。
勿論、経営危機であることは確かである。
しかし営業的には逆であろう。
これをチャンスと捉えることである。
従来の分野、エリアへのこだわりを捨て、その枠を越えた営業を実践していくべき時代が来たのである。
もし、一社では不安ならば、新たな営業の仕組みを自らが作り仲間を募るか、そのような仕組に加盟するかして、チーム営業を展開すれば良い。
方法はいくらでもある。

出来ない理由を探すより、出来るきっかけを探すことだ。
付き合いのある某会社は、自分の地域の枠や領分にこだわることを脱し、我々や他の会社と協力して今まで踏み込まなかった発注者や領域に足を踏み出した。
成果はあがってきている。
さらに新たな成果を求めて、エリアを越える手も打った。
断っておくが、この会社は決して大胆な会社ではない。
経営者は積極的な性格で過激な発言もするが、経営手法は手堅いの一語に尽きる。
筆者の目からは経営的なムダもあるが、驚くほどの堅実経営である。
今回の営業展開は、この堅実経営を捨てる覚悟のように見えるが、決してそうではない。
この新たな営業拡大策も堅実経営の一環なのである。
楽しみな会社である。

談合営業しかやってこなかった営業マンには気の毒な時代であるが、この国から談合が消えるわけではない。
談合の中での生き残りも必要であろう。
多いにその力を磨いて自社に貢献する事も営業マンの生き方の一つである。
ただし、くれぐれも黒くなりすぎないように。
これからの談合は危険と隣り合わせになることを覚悟すべきだからである。



◆ISOはバブルだったのか

建設産業のISOブームは全く下火になったようである。
もともと汎用製品の国際規格であったISOが、製品を作る過程や仕組みまでを規格化したことで製造会社以外も飛びついた。

しかし、建設産業での導入の姿は異様に変質した。
一時期、「ISO9001を取得していない企業は公共工事から締め出される」という話が飛び交った。
恐怖に駆られて、小さな零細企業までもが取得に走った。
勿論、ISOを自社の改革の道具として上手に利用している企業も多く存在するから、筆者はISOの取得そのものを批判しているわけでは無い。
しかし、公共工事の踏絵になる恐怖だけで取得した企業は、今ではその重荷にあえいでいる。
何のためのISOだったのであろうか。

このブームの間、雨後の竹の子のようにISOコンサルタントが出現した。
筆者も数社の取得を支援したから同じ穴のむじなかもしれない。
ただ、ISO取得のみという仕事は全てお断りした。
経営改革、業務改革の手法の一つとして取り入れてきただけである。
ブームが去った今、ISOコンサルタントの相場は大幅に下落して、乱売合戦である。
コンサルという仕事に値引や乱売はおかしいと思うのは筆者だけであろうか。
コンサルタントという仕事そのものまで怪しくなってしまった今日この頃の風景である。
バブルが弾けても何も学ばず、またミニバブルを繰り返す。
我が国の底の浅さを見る思いがする。


◆生き残りをかけて

筆者も経営者である。自分に対することとしてあえて言う。
自社の業績が悪化しているなら、それは99%経営者の甘さが原因である。
自分が最終人事権を持っている以上、社員のせいには出来ない。
それが誰であれ、自分の責任において社員のクビが切れないようでは経営者とは言えない
(首切りの奨励ではありません。比喩として解釈してください)。
孤独に陥ることが怖いなら、そもそも経営なぞやるべきではなかったのである。
冒頭にあげた日産の下請会社のその後であるが、今は30数年を過ごした創業の地を離れ、新天地で頑張っている。
ただ、社長と行動を共にした社員は数名であった。
多くは変化を拒否し、去って行ったのである。


筆者も苦楽を共にした創業時のメンバーを全て失った。
経営の未熟さの故であったが後悔の念はない。
企業としての変化の激しさについて来られる社員がいなかっただけのことである。
「生き残り=社員の雇用の維持」とは思わない。
冷たい経営者と思われようが、企業を生かすことを第一と考え経営を行なっていくことにしている。

経営者は、たとえ一人になっても自社を経営する方法を考えておくべきである。
実際に行なうことは難しくても、考えることは出来る。
一人になってもやっていきたいと思うくらい自分の会社を大切と思うようなら、その会社は必ずや生きていけるであろう。
今存在している企業のうち、50年後に生き残っているのは1%だけと言われる時代に入ったのである。
この熾烈なサバイバルゲームを面白いと思える経営者が必要なのである。
本文をお読みのあなたの会社も、経営者自身がより一層の努力を傾ければ、そのうちの1社になるであろう。