第32回:原発問題の原点(その1)

2012.03.29


今回から数回に分けて、原発問題の原点そのものを考えてみようと思います。
原発の是非をめぐる論争は、その出発点から、論理ではなく感情合戦であったように思います。こうなると互いに譲れなくなります。
かくして、その時々の国民感情 (あるいはその感情の操作)で原子力開発は推進されてきました。
最初は広島・長崎の惨状により世論は反対一色でした。
しかし、戦後復興が始まると深刻な電力不足に陥り、その解決策として原発の建設が推進されました。
やがて、原子力は最先端技術の一つとして、日本の国威発揚のシンボルとなりました。
特別講師が小学生の時に読んだ絵本には、「伸びゆく日本」の象徴として、新幹線などと一緒に原発の絵が載っていたということです。



左の写真は、1958年4月に開催された「広島復興大博覧会」で、核分裂反応の模式図を見上げる来場者です。
1500個余りの電球が点滅する模式図に人だかりができたと言うことです。
何ということはない報道写真ですが、原爆の災禍からわずか13年後の広島ということに驚かされます。
(出典:中国新聞)

それが現代では反対論が優勢になっています。
福島の事故の現実は国民に恐怖を呼び起こしました。
広島・長崎の悪夢が現代によみがえったのです。
事故前は逆でした。温暖化防止のために原発への依存度を50%超にすると政府は発表しました。
そして国民の多くはそれに賛同しました。
温暖化への恐怖が原子力への恐怖より大きかったといえます。
しかし、その時、本当に原子力発電を増やすことが良いのか、他の方法はないのかを真剣に討議した様子はありません。


東北大震災の復興に「絆を!」と叫びながら、ガレキの搬入をかたくなに拒否するのが市民感情です。
このような矛盾を解くカギはありませんが、双方の主張を並べてみることで少しは客観的な判断ができるのではないでしょうか。
本コーナーは、その判断の基になる情報提供を心掛けています。
推進論、反対論の観点から読むのではなく、客観的事実の提供としてお読みください。


今回は、放射線に対する人々の反応と報道の在り方を考えたい。
最初に1枚の写真を紹介しよう。



【1945年7月】
1945年(昭和20年)7月16日、米国は人類初の原子爆弾を、ニューメキシコ州アラモゴード砂漠のホワイトサンズ射爆場において爆発させた。
上記の写真は、実験の数週間後に爆心地にあった実験塔の跡地に立つマンハッタン計画の首脳たちである。
中央、帽子を被ったスーツ姿の男が計画リーダーのロバート・オッペンハイマー博士、左端の黒い帽子に軍服姿の男がマンハッタン計画の指揮官レズリー・グローヴス中将である。
(The Joseph Papalia Collection Leslie Groves From Wikipediaから引用)

爆発からわずか数週間後に爆心地に入るのに、誰ひとり防護服を着ている者はいない。
いや、全くの普段の姿である。


そして、今度は上の写真を見て欲しい。
7月16日の爆発を見ている兵士たちである。
距離は不明だが、この近さで見ている兵士たちも通常の軍装で防護の様子は見えない。
この後、この軍装のまま兵士たちは爆心地に入ったと言われている。

この2枚の写真が物語っているのは、この当時、放射線が人体に及ぼす影響を、一般人は勿論、原爆を開発した専門家たちも全く分かっていなかったということである。

最初の写真で爆心地に立つマンハッタン計画の首脳たちが、その後に健康障害を起こしたとの記録はない。
爆発直後に爆心地に入った兵士たちのその後については、「死亡した者がいる」との説がある一方、「そのような記録はない」とする説もある。私には判断がつかない。



【2011年10月】
一転して現代である。
左の写真は、2011年10月28日、東京都世田谷区のスーパー敷地内で見つかった放射性物質「ラジウム226」の入ったガラス瓶である。(出典:共同通信)

瓶の持ち主は判明せず、除染費用は、地権者である全国農業協同組合中央会(JA全中)が負担した。
JA全中は「ラジウムを所持したことはなく、なぜ埋まっていたか分からない」と話す。

周辺を調べていた区民が、このスーパーの敷地内で高い線量の場所を見つけた。
文科省などの調査で敷地内の2カ所から最大で毎時170マイクロシーベルトの線量が測定され、アスファルトの下から写真のガラス瓶が見つかった。
ずいぶん昔からこのガラス瓶はそこにあり、多くの人がその上を行き来していた。だが今のところ、放射線による障害は報告されていない。この少し前に発見された民家の床下にあったラジウムの入った瓶の上では、民家のご婦人が50年間もその上で暮らされていた。
推定では、年間180ミリシーベルトを浴びていたのでは言われているが、90歳を超えた今もお元気とのことである。


【子供の被曝】
福島第一原発の事故のあと、福島県内の1000人以上の子どもの甲状腺を調べた結果を、日本小児科学会で、広島大学の田代聡教授が報告した。
この調査は、1年前の昨年3月24日~30日に、福島第1原発から20キロメートル圏の、政府が避難指示を出した地域の外にある、いわき市と川俣町、飯舘村の3市町村の1149人の子どもを対象に行われたもので、甲状腺への被ばく量を調べたものである。


その結果、およそ半数の子どもの甲状腺から放射性ヨウ素による放射線が検出された。
詳しく言うと、45%の子どもが低レベルながら内部被ばくをしていた。
その中で26%の子どもは毎時0.01マイクロシーベルト、11%が0.02マイクロシーベルトの被曝だった。最高は0.1マイクロシーベルトだった。
これだけ聞くと「大変な事態では・・」と思う人が多いと思う。
しかし、上記の全員が規制値以下の被曝量であったし、今回検出された放射線から換算される甲状腺への被ばく量は、子どもへの影響を最大限に考慮しても、最も多い子で年間35ミリシーベルトであり、「健康に影響が出る値ではない」ということである。局所被曝なので、全身被曝に比べて影響は小さいからである。
田代教授は
「微量なので、将来、甲状腺がんが増えるとは考えにくいが、万が一の場合にも対応できるよう継続的な健康管理が必要だ」
と話している。
また、広島大学原爆放射線医学研究所の細井義夫教授は、この調査結果について、「発表どおりの数値なら、被ばくした子どもが将来甲状腺ガンにかかる確率は極めて低いと思う」
と語った。
このように、「半数の子どもが被曝」といっても問題にはならない程度だったのであるが、率直に言って「今ごろ、1年近く前の調査結果を発表すんの?」という疑問が残る。


実は、昨年3月の調査時点で政府は「全員が健康基準をクリアした」と発表していた。
しかし、その後、子どもの親や放射線専門家からより詳しい検査結果を公表するよう要求が寄せられていた。しかし、その後の政府発表はなかった。
今回、小児科学会での発表となり、初めて詳細な調査結果が分かったということである。
結果として、政府発表の「全員が健康基準をクリアした」とおりであったが、政府の対応はあまりにも不親切である。このような姿勢が住民の不安を呼ぶことを政府は全く感じていないようである。

なお、小児科学会での発表後、検査の結果は、国の対策本部から子どもや保護者に通知されることになったようである。
外電は、これを以下のように報じた。


【東京】日本政府は、大事故となった東京電力福島第1原発周辺の3市町村に住む子どもの半数近くが事故発生後間もなく低水準ながら放射線の内部被ばくを受けていたことを明らかにした。これにより周辺住民の放射線被ばくの長期的影響に対する不安が増大することは確実だ。


【チェルノブイリの健康被害】
なにかと福島第1原発の事故と比較されるのが、チェルノブイリ原発事故である。
反原発の立場を取る活動家、学者、医者たちは
「チェルノブイリでは数十万人が死んだ(死ぬだろう)」
と主張しているがデータを示せてはいない。
我々は、そのような根拠のない発言ではなく、科学的データから判断したいと思う。
チェルノブイリの被害について最も信頼できるとされる事故評価は、国連の8機関(WHO、IAEAなど)とベラルーシ、ロシア、ウクライナの政府が参加した「チェルノブイリ・フォーラム」が取りまとめた調査結果である。
2005年の会議での報告を以下に記す。

(1)小児甲状腺がんが4000例発生し、9人死亡(翌年、15人に修正された)。
(2)成人の甲状腺がんへの影響ははっきりしない。
(3)その他のがん、白血病が被曝の多いグループで増えたとされる調査結果は、被曝量のデータが不正確である。
(4)被曝量の多いグループ60万人のうち、最終的に4000人が被曝によるがんで死亡すると予測される。
(5)今後、白内障、心血管疾患との関連調査が必要。
(6)胎児の奇形、乳児死亡率と被曝を関連づけるデータはない。

健康被害の報告は、およそ以上である。
環境被害については、
「被曝地域では人間の活動がなくなり、生物の多様性で類のない聖域になった」
と報告されている。
当時のニューヨークタイムズの社説には、
「健康被害も環境被害も恐れられていたよりはるかに小さく、公衆が受けた最大の被害は、誇張されたリスクに基づく精神的被害だった」
とある。
今回の教訓になるかもしれない。


 
【原発作業員が被曝でガン、労災認定10人】
昨年(2011年)7月26日に毎日新聞が配信した記事がある。

東京電力福島第1原発事故で収束作業にあたる作業員が緊急時の上限250ミリシーベルトを超えて被ばくするケースが相次いだが、過去にがんを発症して労災認定された原発作業員10人のうち9人は累積被ばく線量が100ミリシーベルト以下だった。遺族からは福島第1原発の作業員を案じる声が上がる。厚労省によると、この10人は作業中に浴びた放射線を原因として労災認定されたとのこと。内訳は白血病が6人、多発性骨髄腫が2人、悪性リンパ腫が2人。 累積被ばく線量は、最も高かった人が129.8ミリシーベルト、残り9人は100ミリシーベルト以下で、最も少ない人は約5ミリシーベルトだった。

この記事を読むと、今回の福島第1原発の事故により放射線が原因でがんを発症した作業員がいて、そのうち10人が労災認定されたように思ってしまう。
しかも「遺族からは・・」のくだりで、「死者まで出てるんだ」と思いがちである。
当初、私もそう思った。
しかし、何度も読み返しているうちにやっと分かってきた。
今回の福島第1原発の事故に関することは「緊急時の上限250ミリシーベルトを超えて被ばくするケースが相次いだ」だけで、それ以外は、今回とは無関係の過去の出来事なのである。
「遺族」とあるのも過去のことで、死亡と放射線との因果関係については分かっていない。
しかし、この書き方では、今回の事故で放射線による障害を起こした作業員が出ていて、しかも死者まで出ている、と誤解する読者が出てもおかしくない。


【50ミリの息子白血病死、母の怒り】
この記事も同様である。表題からして感情を誘導する題名である。

中部電力浜岡原発の作業員だった嶋橋伸之さんは91年に白血病で亡くなった。29歳だった。神奈川県横須賀市に住む母○○さん(74)は、体重80キロだった嶋橋さんが50キロにやせ衰え、歯茎からの出血に苦しんでいた姿が忘れられない。

嶋橋さんは下請け会社で原子炉内計測器の保守点検をしており、累積被ばく線量は8年10カ月間で50.63ミリシーベルトだった。
死亡の半年後に戻ってきた放射線管理手帳は、赤字や印鑑で30カ所以上も被ばく線量などが訂正されていた。白血病と診断された後も被ばくの可能性のある作業に従事可能なことを示す印が押され、入院中に安全教育を受けたことになっていた。安全管理のずさんさに怒りがわいた。

「福島の作業員は命を惜しまずやっているのでしょう。でも、国や電力会社は家族の心も考えてほしい。『危ない』と聞いていれば伸之を原発になど行かせなかった」と母の○○さん。「何の落ち度もない労働者が亡くなるようなことはあってはならない。上限値はすぐに下げるべきだ」と訴える。

たしかに胸を打つ内容で、論評を加えることに躊躇をおぼえてしまう。
しかし、この記事の内容には問題がある。
事実と推定を混ぜて悲劇的な記事に仕立て上げているからである。
放射線管理手帳の訂正は事実であろう。
ただし、訂正自体は違法とは言えない。訂正印が打たれていることから承認の上の訂正と思われる(ただし、事実を隠すための訂正であれば、それは論外で犯罪であるから、私は、それを容認しているわけではない)。
また、「白血病と診断された後も・・」はひどい話である。
安全管理のずさんさは、原発行政の大きな欠陥である。私の経験からも、被曝線量の過少申告は行われていた。
私の場合は自分の意思で線量計を外して原子炉に入っていたが、もし強制されたとすると、この怒りはもっともである。

ただし、この方の白血病との因果関係は分からない。
8年以上も原発で作業していたから疑わしいとする気持ちは分かるが、白血病の原因は他にもたくさんある。被曝が原因と断定は出来ないのではないかと思う。
50.63ミリシーベルトという累積線量は決して多いわけではない。
それよりはるかに多い被曝線量でも健康な人はたくさんいる(私もその一人であるが)。
ただ、放射線に対する耐性は非常に個人差が大きい。
異常を少しでも感じたら原発を去るべきであり、管理者もおかしいと思ったら、すぐに作業から外すべきである。
ただし、そうなると作業員の作業の継続は出来なくなり、雇用が絶たれる恐れもある。
このように問題の背景は複雑なのだが、今のままでよいとは言えない。

それにしても、母親の談話は載せるべきではないと思う。
どうしても感情的な発言となる。
この記事では母親の言葉として「福島の作業員は命を惜しまずやっているのでしょう」との談話があったが、私は経験者としてそれは否定する。
私を含めて「命を惜しまず」働いていた者など皆無である。
みな、真剣に働いていたが、命の大切さを粗末に扱う者はいなかった。
このような誘導発言をさせる新聞記者には怒りすら覚える。
また、新聞社のダシに使われた、この母親には同情すらおぼえる。


次に紹介する記事は、論評が難しい。

そもそも原発での被ばく労災が表面化することはまれだ。市民団体「福島県双葉地区原発反対同盟」の石丸小四郎代表(68)は震災前、福島第1原発の作業員6人の被ばくによる労災申請を支援し4人が認定されたが、実名を公表したのは2人だけ。「原発の恩恵を受けているとの思いがあり、狭い地域社会の中で補償支給を知られたくない人が多い」と指摘する。
がん以外の場合には認定自体に高いハードルがある。福岡市の元溶接工、梅田隆亮(りゅうすけ)さん(76)は79年2~6月に中国電力島根原発(松江市)と日本原子力発電敦賀原発(福井県敦賀市)で働いた。その後、突然鼻血が出るなどの症状が表れ、慢性的な倦怠(けんたい)感が続いた後、00年に心筋梗塞(こうそく)で倒れた。被ばくが原因ではないかと疑念を深め、08年に労災申請したが、認められなかった。累積被ばく線量は8.6ミリシーベルト。再審査を請求している梅田さんは「原発労働者が事業者の都合にいいように扱われている。このままでは自分のようなケースがどんどん生まれてしまう」と懸念する。
被ばくによる労災認定に明確な基準があるのは、がんでは白血病のみ。「年平均5ミリシーベルト以上の被ばく」と「被ばく後1年以上たってから発症」の2点。他のがんは厚労省の検討会が判断する。

この記事は、3名の署名記事になっていたから、3人の記者は責任を持って書いたものと思われる。
しかし、この記事を理解して読める読者はどのくらいいるであろうか。
ためしに専門知識のない知人に読んでもらったが、「ひどい」「怖い」といった感想しか出てこなかった。
それこそが記者たちが狙った反応(というより誘導)であろうが、それが新聞の役目であろうか。
記事では、健康被害の原因は放射線だと誘導しているが、この記事の場合は他の原因も考えられる。
報道機関が断定的な記事を書くことに疑問を感じる。


私は反対派の意見を批判しているわけではない。
懸念があるものに懸念を表明するのは当然である。黙っている必要はない。
また、推進派を無条件に支持しているわけでもない。
自分は放射線を浴びたことを恐れてはいないが、
詳しい説明もなしに被曝を強いた原子力行政と東電、それに盲従した企業の姿勢は容認できない。
私はこの程度の被曝で健康障害を起こすとは思っていなかったが、万が一障害が出たら治癒は出来ないとも思っていた。
だから、放射線におびえる人たちの気持ちは十分に理解できる。
むげに風評と退けないで、丁寧な広報と親切な対応を行うことは欠かせないのである。
しかし、今の行政と東電経営陣には全く期待できない。
早急に行政と東電の組織を変え、人事を一新すべきである。
それが原発再稼働を論じる前提ではないかと思う。


報道はあくまでも公平であるべきだ。
予見を持たず、推定は「推定」と明記し、結論を誘導すべきではないと思う。
原発の黎明期、「原発推進すべき」の記事で国民を誘導したのも報道機関である。報道で世論を誘導し、どっちの方向にも国民を動かすことが出来ると考えているならば恐ろしいことである。
近年の政治報道を見ても、その傾向を顕著に感じる。
我々は、報道を正しい目で分析しなくてはならないのである。


私たちは報道に踊らされているのではないでしょうか。
でも、そう言っては報道機関に酷(こく)かもしれません。
報道機関だって営利企業です。どうしても「売らんかな」の記事を書きたくなると思います。
そうなると、読者が賢くなるしかないようです。
それは難しいことではありません。
多くの異なる情報に接することです。たとえ自分とは異なる意見に対しても耳を傾けることです。
次回も是非お読みください。