第17回:直江兼続

2009.06.04


今回から数回、歴史談義で稽古するとしよう。
脳内道場では、第9回で源義経、第10回で高師直と、2度歴史物を取り上げた。
なに! 憶えていない?
「渇!」 (久しぶりですな)
復習せい。

前2回では、歴史上の評価がまるで正反対の両者が、実は同じ発想法をしていた、
という事実を知ってもらった。
さて今回は・・・
まずは道場へ来い。

いわずと知れた、09年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア』

おかげで、「かねつぐ」なる読み方が一般にも知れ渡った。
TVの影響はまだまだ凄いですな。
歴史にはとんと興味を示さない、我が次女までが毎回見る。
・・・といっても、お目当ては、主人公を演じる妻夫木君や石田三成役の小栗君らしいが。
この兼続なる人物、歴史通には非常に評価の高い人で、伊達政宗に仕えた片倉小十郎と人気を二分してきた。
当道場主が敬愛する歴史家、加来耕三 (かく こうぞう)氏も絶賛していたと記憶している。
しかし、である。
大河ドラマになる前は、ほとんど一般には、その名を知られていなかった。
戦国時代の軍師としては、秀吉に仕えた竹中半兵衛、黒田官兵衛(如水)、
武田信玄に仕えた山本勘助(07年の大河ドラマでしたな)などが有名である。
それらの武将に比べると、兼続は有名とは言いがたい人物である。

その理由の一つは、手柄を上げた有名な戦が少なかったことがあろう。
また、主君の上杉景勝の武功が、先代謙信に遠く及ばなかったこともあげられよう。
彼の名がメジャーな歴史モノに登場するのは、
関が原の前哨戦で徳川家康を会津に引き寄せたことぐらいであろうか。
しかも、関が原へ取って返す家康軍を追撃するでもなく、関が原に直行するでもなく、
要するに、「何もせずに傍観した」のである。

ゆえに、一般には無名な人物として埋没してしまったといえる。
では、なぜ、それなのに、歴史通には評価されてきたのか。
前置きが長かったが、これが今回の稽古のテーマじゃ。
さて、道場生の諸君、自分なりの答えを書いてみよ。
その間、今回の大河ドラマ「天地人」のキャッチコピーを、NHKのHPより転載する。
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兼続は上杉謙信を師と仰ぎ、「利」を求める戦国時代において民、義、故郷への愛を貫きました。
兜に掲げた「愛」の文字が兼続の思いを物語っています。
大河ドラマ「天地人」は、この兼続の生き様を通して、現代人に失われつつある「日本人の義と愛」を描きます。
原作は火坂雅志氏(小説「天地人」NHK出版)、脚本は小松江里子氏。
「謙信公曰く、天の巡り合わせが良く、地勢の有利さに恵まれ、家臣・領民がよくまとまっている、
この3つの条件を満たす大将を、日本の歴史、中国の歴史、神話の時代にさかのぼっても見たことがない。
もっともこんな大将がいたら、戦は起こらないし、敵対する人物もいないだろう」
これは、孟子の教え「天の時 地の利 人の和」を上杉謙信が引用したと考えられます。
戦に勝つには、すなわち物事を成功させるにはこの3つの条件が必要だということです。
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実は、正直言って、このコピーにインパクトは感じられない。
このドラマでは「愛の人、兼続」みたいになっていて、歴史通には面映い(おもはゆい)。
戦国時代には、現代風の「愛」という概念はなく、
兜に付けた「愛」の前立ては、宗教的意味合いと取る歴史家が多いようである。
道場主の故郷でもある新潟では、「毘沙門天(別名、多聞天)」信仰が厚い。
仏法の世界では、防衛大臣にあたる「帝釈天」配下の四天王の一人で、
北を守る守護神である。
上杉家の軍旗にも「毘」の字が躍る。

この毘沙門天と並んで、武門の守り神とされたのが、
愛宕権現(あたごごんげん)や愛染明王(あいぜんみょうおう)である。
「愛」の前立ては、ここから取ったという説がある。
兼続以外にも「愛」の前立てを付けていた武将はいるので、一定の説とは言える。
と、どこまでいっても、武将としての武功が出てこない。
(有名でない戦での働きは結構ありますが)

道場主は、その答えは、関が原以降にあると見ている。
兼続は、石田三成には「天地人」が欠けていると見て、武力参戦を見送ったのではないか。
また、家康に戦で勝つ自信もなかったと思う。
おそらく、一時、相対した徳川家康の戦略眼、野戦力、人間掌握術などから、
徳川の勝利を予見し、武力ではなく上杉家を存続させる方策に専念したのであろう。
時代が向かう方向を察知し、自国経営をどう導くべきか。
戦国の世にあって、それを第一に考えられる稀な武将だったのであろう。
それが、歴史通の心を動かすのだと思う。
それは、現代の政治や経営にも通じる大事な要素である。
華々しい戦よりも、民の暮らしを豊かにする地道な産業育成や徳育を大事にする。
国家も、企業も、国民も、この兼続の政策を再評価する時なのではないかな。
このことを4百年後の現代に教えてくれる兼続は、やはり名将といえるのであろう。
華々しい政策のぶち上げばかりを喧伝する昨今の政治家は見習って欲しいものだ。
大河ドラマの後編で、かような兼続をどう見せてくれるか。
脚本、役者のみなさんに期待するとしようか・・・
うん?
「所詮ドラマじゃないか」って。
そうじゃな、大河ドラマは「作りもの」じゃ。
事実を徹底的に追求する歴史研究ものではない。
例えば、本能寺で信長が死んだ時、彼は49歳であった。
その時、秀吉46歳、家康40歳、兼続、三成23歳である。
ドラマの役者を見ていると、
信長30代後半、秀吉60ぐらい、家康60台後半、
と、まるで逆である。
(妻夫木君や小栗君は、年に近いが)
まあ、ドラマじゃからのう、うるさいことは言うまい。
だが、当道場の道場生たるもの、あれを歴史と見てはいかんぞ。
今回は教訓になってしまったわい。