第9回:将を射んと欲すればまず馬を射よ(義経的発想法)

2008.09.01

 
 
 
「常識の殻を破り、豊かな発想力を手に入れたい」
こんな願望を持っている諸兄は多いであろう。
しかし、「とてもムリ」と諦めている向きも、また多い。
だが、ここは脳内道場である。
きょうは、この「常識の殻を破り、豊かな発想力を身につける」稽古をしよう。
実は簡単なことなのだ。
何でもよい。「当たり前」と思われていることに疑問を持ち、逆の方向から考えて
みるのだ。

たとえば、
「冠婚葬祭の時、参列者は黒服を着る」という常識がある。
逆の方向から考えると、「・・白服を着る」となる。
「そんな非常識!」としたのでは、当道場の塾生とは言えませんな。
実は、昔は白服(あるいは黒以外の着物)を着て参列したのである。
つまり、ある時から『常識は逆転』していたのである。
このように考えると、一つの事柄が全く違う面を見せることが分るであろう。
この考え方をクセにしていくのだ。

では、今回の本題に入る。
上記のような常識の逆転は、自然に起きたのではなく、
『誰かが実践したのである』

今回と次回で、
この『誰か』の一人である歴史上の二人の人物の発想法を学んでみよう。
英雄としての評価は全く正反対の二人であるが、
発想の豊かさは同じなのである。

今回の表題の【将を射んと欲すればまず馬を射よ】
 

「平家物語絵巻」 岡山市 林原美術館蔵

この有名な言葉を知らない者はいないであろう。
「敵の大将を討とうと、直接 矢を射掛けても射損じる可能性がある。
それよりも、的の大きな馬を射て倒し、それから大将を狙えば確率は上がる」

このような意味である。
「急がば回れ」にも通ずる『ことわざ』である。
だが、多くの人はそれ以上考えようとはしない。

「渇!」 (・・・久しぶりだな)

それだからダメなのだ。
次のような疑問を持って欲しい。

「何でこんな当たり前の言葉が『ことわざ』として長い間言い伝えられてきたのか」、と。
ここが思考開始のスタートである。
実は、現代では『常識』になっているこの言葉も、
ある時までは常識ではなかったのである。
この言葉を、いつ誰が言い出したのかは残念ながらはっきりしないが、
武士の戦い方を説いている言葉ということは分る。
そこまで考えればもう察しがつくであろう。

現代ではなく源平合戦の頃の常識で考えて欲しい。
あの時代の常識では、
将(つまり武士)本人を射るのではなく乗っている馬を射ることは、
実は卑怯な戦法であった。
武士として恥ずかしい行為というわけである。

それこそ『現代の常識』で考えれば、将より馬を射るほうが簡単で効果があることは分る。
しかし、あの時代は、
「卑怯だから出来ない」という『あの時代の常識』が支配していた。
そんな中でこの縛りを捨てて馬を射る者が出現したのである。
そして、当然に戦いに勝った。
この戦法で勝ちを収めていくうち、この発想のほうが常識になったのである。

この逆説的考え方は、今でいう「水平思考」とか「逆転の発想」なのである。
この言葉と類似の戦法を取った武将がいる。
有名な源義経である。
壇ノ浦に平家を追い詰めた義経であるが、実はこの戦いには大きな危惧があった。
義経配下の源氏は、陸戦は強いが海戦は苦手であった。
案の定、平家水軍の必死の戦いに源氏は劣勢になる。
この時、総大将の義経は「船の漕ぎ手を射よ」と命じた。

味方は躊躇したが、
義経は部下を叱咤し敵船の漕ぎ手を射殺し、逆転勝利をものにした。
問題はこの「漕ぎ手を射る」という発想である。
実はこの時代、船の漕ぎ手を射ることは卑怯な戦法で、いわば禁じ手だったのである。
あえて、そのタブーを破ったのが義経だった。
彼の戦における無類の強さは、
このように当時の常識をことごとく破ることで一気に優位に立つことにあった。
鵯越(ひよどりこえ)の逆落とししかり、
暴風雨をついた屋島の奇襲しかりである。

「将ではなく馬を射る」という「ことわざ」は、
「常識に捉われることなく自由な発想で勝つ」ことを教えている言葉である。

この考え、そして行動が自然に出来るようになるには、日頃の思考訓練が欠かせない。
脳内道場に通う意義があるということだ。